キャリア・教育

2019.07.30 10:05

世界歴代2位のクライミング女王に訪れた「楽しくない、辛い時」とその乗り越え方

プロフリークライマー・野口啓代

プロフリークライマー・野口啓代

2020年東京オリンピックの正式種目にも選ばれ、スポーツクライミングへの注目度は年々高まっている。そんななかで、日本人選手として活躍を注目されているのが野口啓代(あきよ)だ。

ロッククライミングやボルダリングが国内で浸透し出したのは、ここ10年程度。野口はそれよりも前の2000年代の初期にわずか11歳でクライミングの世界に足を踏み入れ、2008年に日本人として初めてボルダリング ワールドカップで優勝をおさめ、ワールドカップにおいて通算21勝という優秀な成績を残してきた。

長年、世界のスポーツクライミングを牽引してきた野口だが、「競技としてのクライミングは東京オリンピックを最後にしたい」と話している。自らの力で道を切り拓く女性たち「セルフメイドウーマン」を紹介する連載企画7月25日発売のForbes JAPAN9月号でも特集するこの企画で、今年30歳を迎え、新しい展開にも意欲を見せる野口啓代の「わくわくする瞬間」を聞いた。

──野口さんは、約20年前からクライミングをされていたそうですね。当時はまだ、日本国内ではボルダリングやロッククライミングなどは浸透していなかったかと思いますが、どのようにクライミングと出会ったのですか?

家族でグアムに旅行したときにクライミングを体験したが、始めたきっかけでした。小学校5年生のときのことです。もともと木登りをするのがすごく好きだったので、すぐに夢中になり、その1年後には大会に参加するようになりました。

多分、私は本番に強いタイプなんだと思います。当時、それほど練習をしていなくても次々に大会で結果を出せて、全日本ユースも制覇してきました。競技会場で課題の壁を見ると、それを登ることが楽しみでわくわくするし、会場に漂う緊張感がいいプレッシャーになって、集中力が高まっていくんです。勝つと親が褒めてくれるのも嬉しくて、どんどんのめり込んでいきました。

私が10代のころは、日本国内ではまだクライミングがスポーツとして認知されておらず、アルバイトでお金をためて自費で海外の大会に参加していました。
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構成=吉田彩乃 イラスト=Willa Gebbie

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