今年5月にも、ニューヨーク・ブロードウェイで書のライブパフォーマンスを行った。舞台に広げられた、身体よりもはるかに大きな真っ白い紙。彼女はまず、一筆一筆に力を込めて、墨で一羽の鷹の姿を書いていった。次に「和翔」という字を縁取りながら、赤い色で円を描いていく。最後、鷹の身体は白と青の二色でまるで富士山のように彩られた。完成したのは、太陽に向かって鷹が大きく羽ばたく姿だった。
こうした日本の書とアートを融合させた紫舟の作品は、ヨーロッパでも高く評価され、2014年にはフランス国民美術協会展で金賞を受賞している。
そんな彼女が、今回、30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のDOU部門アドバイザーに就任。
6歳で書道を始めた彼女の作品を見ると、まるで生まれながらの書家のように感じられるが、ここに至るまでの道は決して平坦なものではなかったという。ずっと「自分のなすべきことがわからないままだった」いう彼女に、どうやってプロの書家となったのか。
一度すべてを手放してたどり着いた「書家」という夢
すべての人には人生で成すべきことがあるはずだ、自分にとってのそれは一体何なのだろうかと、私は子どものころからずっと考え続けていました。
大人は必ずと言っていいほど、子どもたちに「好きなことはなに?」「将来は何になりたいの?」と訊きますよね。それくらい、夢や好きなことは大切なもののはずなのに、多くの人がそれを見つけられずにいる。
私自身も、その問いへの答えが見つけられないまま大学を卒業し、なんとなく周りの流れにのってアパレルメーカーに入社しました。就職してはみたけれど、やっぱり自分の人生で本当に成すべきことは見えないまま。3年ほど経ったころ、自分の人生をじっくりと見つめ直す必要があると感じて、勇気を出して退社しました。一度すべてを手放さなくては、自分にとって本当に大切なものには気づけないかもしれない、そう思ったのです。
退職してからは、ただ自分を見つめるだけの生活をしていました。自分は何が好きなのか。どんなときに幸せを感じるのか。何をしているときに心が喜ぶのか。そんなことをずっと、自分に問い続けていました。