ビジネス

2019.07.28 08:00

白紙撤回された内定書 |アマゾン ジャパンができるまで 第2回


再雇用されて間もなく、日本でのオフィスをどこにしようかという話し合いが、ある日、ベゾスとCFOのジョイ・コービー、岡村・西野の2人の間であった。

そして、壁のホワイトボードに日本地図を描いて指さしながら会話するうち、ベゾスがこう言い始めたのだ。

「東京はこんなに地価が高いのか! 東京にオフィスを借りる必要が本当にあるのか? アマゾンは社是の一つに倹約を掲げているくらいだ。世界一のカスタマーオブセッションをうたう企業が、オフィスにこんなにコストをかけるのは馬鹿げている。シアトルもアメリカ大陸の西の真ん中の方だから、たとえば、うーん、ここ、島根か鳥取でいいんじゃないか? それに、倉庫はなるべく国土の真ん中にあった方がいいから……このあたり(長野を指差して)とかどう?」

2人は、「日本は、東京一極集中の国だ。英語を話せる人材も東京でなければ採用できない」と必死で説得したという。

オフィスはその後しばらくして、新宿の「リージャス」に決定した。


岡村自身のもの(右上)ほか、当時の名刺。ジェフ・ベゾスの名刺(左上)も。ラム・シュリラム(左下)は、グーグルに一番最初に投資したエンジェル投資家。彼にグーグルへの投資を勧められたベゾスも、同時期に投資している。

出版社よりも重要なもの

岡村と西野は日本とアメリカを往復しながら、日本でビジネスするためのパートナー候補、倉庫や取次、カード会社、広告代理店、宅配業者などと会い始めた。

オンライン書店立ち上げには、角川、講談社、などメーカーである版元(出版社)とのコネクションはもちろん必要だ。だが、それよりもキーなのが、「カタログ」と「ソーシング」だった。

「カタログ」は、すなわち本のデータベースのこと。そのデータベースを持っている日外アソシエーツ、トーハン、TRCなどに協力を得なければとうてい、書店はオープンできない。そのほか、「ソーシング」、すなわち出版流通のサークルにおける大元締め、「取次」の大手と組むことも不可欠だった。

だが、たとえば取次の栗田出版は、警戒して社屋に入れてくれない。会うのはいつも外の喫茶店。受付ではアマゾンを名乗ってくれるな、と言われていたため、「どちらの岡村さまですか?」と聞かれて、「ただの岡村です」と答えていたという。

取次では、大洋社がついに「やりたい」と言ってくれたが、条件が、「うち一社だと無理だ、トーハンか日販のどちらかをくどいてくれ」。だが大手2社は、頑として首をタテに振らなかった(取次ではのちに、「うち1社でギリギリいけると思います、やれると思う」と返事した大阪屋と手を組む)。

分かれゆく道

岡村と西野の「道」は、このあたりで2手に分かれていく。

岡村がオンライン書店としてのアマゾン ジャパン立ち上げに奔走する中、西野のミッションが「オークションサイト立ち上げ」に変わっていったからである。


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構成・文=石井節子

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