先日、あるテレビ番組で、世界的ファッションデザイナーの山本耀司氏の服作りの現場を紹介していたが、その場でも、山本氏はスタッフに「わざとで良いから、下手くそにして!」と指示を出していた。
また、筆者が生業としている文章の世界でも、若き日に大切なことを学んだ、印象的な思い出がある。
筆者が高校生であった1969年、第61回芥川賞を受賞したのは、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』であった。これは、ほのぼのとした軽妙な筆致で、高校生の青春の一日を描いた小説であったが、その文章は、一見、誰にでも書けるような素人的な文体のものであった。実際、当時、筆者の同級生には、庄司薫の文体を真似て、自伝的ユーモア小説を書いたりした者もいた。
しかし、筆者は、あるとき、ふと立ち寄った書店で、一冊の本を手にして衝撃を受けた。それは、庄司薫が本名の福田章二で小説を書いていた時代の初期作品集であったが、その中の一篇、中央公論新人賞を受賞した『喪失』を読んで、愕然とした。
それは、精緻なガラス細工のごとく、見事なレトリックが駆使された、一流の物書きの文章であった。そして、筆者は、あの誰でも書けそうに思えるユーモア小説的文体が、この見事な文章の世界に辿り着いた人間が、敢えて書いたものであることを知り、深い感銘を覚えた。
書道の世界でも、まず、楷書を覚えたのち、行書、草書を覚えていく。そして、どのような芸事も「守・破・離」の三つの段階、すなわち、まず基本の型をしっかり覚え、次に、その型を崩していく段階があるが、技を磨くとき「守」の段階で満足し、留まってしまう職業人が多いことも事実である。
しかし、その先の段階にこそ、プロフェッショナルの世界の味わいがあり、個性の開花がある。
田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院名誉教授。世界賢人会議ブダペストクラブ日本代表。全国5,000名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は、本連載をまとめた『深く考える力』など80冊余。tasaka@hiroshitasaka.jp