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国際モータージャーナリスト「ライオンのひと吠え」

フェアレディZの50thアニバーサリー・エディション

1969年、それは激動の年だった。人類による月面の初着陸、747型ジャンボジェットの初飛行、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの結婚、史上最高のロックコンサート「ウッドストック祭」開催、セサミ・ストリートの初放送……。

そして、日本の自動車業界では、日産の伝説的な名車であるフェアレディZとGT-Rが誕生した。と言うことで、今年はその50周年になる。

先週、ニューヨーク国際オートショーで、この2台の日産の50周年記念車が発表された。

フェアレディZの50thアニバーサリー・エディションは、1969年当時アメリカのSCCAというレースで優勝したダットサン240Z(フェアレディZの海外名)の紅白のデザインを新しく再現していた。

つまり、白いボディカラーに赤いボンネットとルーフ、そしてドアの下には赤いストライプが入っている。これは当時、ピーター・ブロック氏率いる名門BRE(ブロック・レーシング・エンタープライゼス)のマシンのカラリングからインスピレーションを受けたものだ。



一方、GT-Rは2020年モデルのデビューに合わせて、特別仕様車「50thアニバーサリー」を発表した。日本グランプリシリーズで活躍したGT-Rレースマシンの外観をモチーフとし、2020年モデルの新色として設定されたワンガンブルーには専用ホワイトステッカーを組み合わせ、往年の日産のレースチームのカラーを再現している。

ニューヨーク・オートショーの日産のブースには、わざわざ日本から運ばれたカルソニックGT-R、C110型GT-R、初代フェアレディZ、GT-Rニスモ、GT-R50イタルデザインなどが並ぶ「夢のガレージ」が展示された。

発表会に行った僕は、初代と50周年記念車を見て感動しつつ、欧米の同僚からの興奮気味の声を聞きながら、ふと思った。

アメリカ人にとっては、1969年に誕生した240Zとその記念車は伝説的で、心から祝福される美術品のようだったけど、GT-Rは違うな、と。

なぜなら、GT-Rが正式に大量的に輸出されるようになったのは、2007年に生まれたGT-RのR35からだからだ。それまでは、ほとんどと言っていいほどレースのためにできた日本専用車だった。

1989年にはR32型がオーストラリアに数十台輸出され、1990年から2年続けて同国の最大の耐久レース「バサースト1000km」で連勝し、その名は全世界に伝わった。しかし、他の国には輸出されなかったので、多くの人が知らない幻の名車だった。

そして1994年、あの世界一有名な自動車番組「トップギア」でR32型が紹介されると、GT-Rのとんでもない性能と走りは欧米に知れ渡った。そして、1997年に誕生したグランツーリスモでR32型とR33型が再現され、あの大ヒットシリーズ「ワイルド・スピード」でもヒーローたちがR34型で暴走したため、海外でもじわじわとGT-Rが知られようになった。でも、それはあくまでもバーチャルだけだった。



だから、4月16日に日産が特別に開催した「ZとGT-Rの50年記念車ナイト」で会った中年以上のアメリカ人たちと会話していると、不思議な感じがした。240Zは50年前からアメリカに存在し、手頃なスポーツカーとして愛されてきたリアルな名車であるのに対して、GT-Rは1990年代から何となく名が伝わり、ゲームと映画で徐々に知られ、2007年にようやく販売されるようになった「半バーチャル、半リアル」な車だからだ。

でも、日本人から見れば、どちらもレースでその性能を培ったスーパー級の名車だ。しかも、どの仕様でも運転できる。そんな名車が身近にある幸運を、あらためて感じる50年目のひと時だった。

国際モータージャーナリスト、ピーター・ライオンが語るクルマの話
「ライオンのひと吠え」 過去記事はこちら>>

文=ピーター・ライオン

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