目は口ほどにものを言う
これは的を射たことわざだと思う。
数え切れないほどの写真を見ている中で、私はある日、一つのことに気づいた。それは「人の性格や人生は顔、特に瞳に現れやすい」ということだ。
目は思った以上に多くの情報を持っている。同じ笑顔でも、目が輝いているかどうかで、人に与える印象は大きく変わる。
世の中には多くの化粧品や美容法があふれており、顔の凹凸やパーツの大小に関しては、それらを駆使すれば何とか変化させることができる。ただ、瞳の輝きだけは、どんな化粧品を使っても、フォトショップで修正しようとしても、どうにも変えられない。
だからこそ私は瞳に強い興味を持っていたし、そこにその人の生き方すべてが凝縮されているとも感じた。写真をはじめとした芸術作品は嘘をつかない。
撮影をするときに「カラーコンタクトは外してほしい」と要求するカメラマンもいた。どうやら、カラーコンタクトのフィルムによって、その人の瞳が本来持つ透明さが消え、瞳が濁ってしまうようだ。
「輝いた瞳」を得るために
では、輝いた瞳とはどういうものであり、どうやったら手に入るのだろうか? 私は10年以上そのことについて考え続けてきた。
私の仮説としては、「今この瞬間の人生を楽しんでいる人」こそ、瞳が輝いていると思う。
日々の愚痴やネガティブな話について、澄んだ瞳をキラキラさせながら話す人はいるだろうか? 生まれたばかりの赤ちゃんが、瞳が輝いていないなんてことがあるだろうか?
10年以上前に、インドネシアのバリ島にある小さな村に研究の一環で行った時、日本のように物があふれていない質素な環境の中で、今を精いっぱい楽しんでいる現地の人の瞳がキラキラしていることに驚かされた。その時は、好奇心に突き動かされて輝いている瞳は、それほど相手に大きな印象を与えるということにも同時に驚かされた。
では、人生を楽しむとはどういうことだろうか?多くの愛すべき仲間に囲まれて、たくさんのお金を手に入れて、自由に生活する……そういったものが人生の究極の楽しさだと思う人も多いだろう。
だが、それを究極のゴールにしていたら、人生を楽しむ前にさまざまな苦しみを抱えることになりかねない。他者との比較によって優越感に浸ることもあれば、際限ない不足感に苛まれてしまうこともある。