「路傍の石を見ても、心から美しいと感じ入れるようなハートを持っていたいね」これは、著名な方々を数多く撮影してきたあるカメラマンさんの言葉だ。
そのカメラマンさん自身も、著名な方を多く撮ったことをいたずらに自慢せず、ベテランの年になっても質素な暮らしを楽しんでいるような、いつまでも好奇心を忘れずに生きている素敵な方であった。
瞳を輝かせるために、感性を磨くために、敢えて高価な美術品や高貴な芸術品に触れる必要はない。
日々何気なく見ている空の色や木々のせせらぎををただただ「美しい」とシンプルに感じるようになるだけでも、目の前に見える景色も心の中も一変する。
筆者が愛する写真の世界では、相手と自分の人間関係が画像化されたものが写真である、と定義づけられている。その延長線上で考えると、日々の瞳の輝きは、自分が世界を見る眼差しの輝き度合いではないだろうか。
美しいものを目にすると心がときめいて、心の底から「素敵だなあ」「綺麗だなあ」という思いでいっぱいになる。ある時、田舎で溢れんばかりの星が夜空に煌めいていたのを見た瞬間、私は思わず「綺麗……」と口走ってしまった。
この「綺麗」は、誰かへの社交辞令でも、お世辞で場を盛り上げるためでもない、心からの声だった。社会で生活していく以上、湧き上がってくる感情のままに言葉で表現できないことはたくさんあるし、星を綺麗と思う間もなくタスクに追われている人も多い。
そんな中でも、日々のなにげない物事に美しさを見出して素直に感動する心があれば、それが瞳の輝きへと繁がるのだ。
連載 : 金融女子コスプレイヤーから見た「世界」
過去記事はこちら>>