テクノロジー

2019.03.14 18:00

SXSWで初公開の映画「Autonomy」が私たちに投げかける、テクノロジーと人間の未来

作家でジャーナリストのマルコム・グラッドウェル。9日、オースティンで開催されたSXSWの会場にて。(Getty images)


──航空機の運転自動化のように、人間のミスによる事故は減らせるかもしれない。しかし、1人のハッカーによって、5000台の車が一度に事故を起こすカタストロフィーが起こるリスクを引き受けることはできるのか。
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──Googleの自動運転技術は、相互に依存しているネットワークの網、情報が自動車をコントロールするという技術である。テクノロジーを実際に道路に出す前に、「ネットワーク・オブ・カー」が具体的にどんな形のものなのか十分に理解をして社会として納得することができるのか。

──人間が運転する車と、人間を機械がアシストする車、完全自動運転車とを、共存させなければならない。完全自動運転車だけの世界の方が、はるかに技術的には簡単である。すべてが複雑につながることを認めなければならない。

──Self driving carを「Autonomous(自律した)」と呼ぶことには反対である。「Autonomous Vehicle」とは、現在我々が運転している自動車のこと。「Autonomous」の反対語は「Connected(つながった)」、つまり個人の自由は制約されるということである。
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──運転は習得するものであった。一度習得すると、縦列駐車やマニュアル車のシフトチェンジに満足感を覚え、喜びを覚えた。習得と喜びはコインの裏表である。便利さの代わりに、それを捨てることができるのか。

ここで語られるのは、テクノロジーの進捗の問題ではない。我々が人間の性質として、テクノロジーをどこまで、どう受け入れるのか、ということである。

映像のインパクトは大きい。映画の中でショックなのは、事故の映像である。アメリカでは毎年3万7千人以上が交通事故で亡くなっている。その95%近くが人間によるミスだ。

テスラ「Model X」の運転手が、自車のテクノロジーに感動して運転の様子を撮影している画像を見せられた後、同人物による2016年の凄惨な事故現場が映される。運転手は事故当時「部分的な自動運転システム」を稼働していたが、ハリーポッターの映画を見ており、反応できなかったという。

2018年アリゾナ州でのウーバーの自動運転車が歩行者の女性をはねて死亡させた事故の際にも、運転手は乗っていたが、自動ブレーキモードがオフにされていて、ほどんど道路状況を見ていなかったとされる。
 
Aurora Innovationのクリス・アームソンは、「初めて自動運転車に乗った人々は恐れを抱き、不安を感じるが、何時間、何日も問題がないと、その後すぐに慣れて、信頼しきってしまう」とリスクを語る。また、自動運転開発の目標は、人間を運転から解放し、時間を自由にし、リラックスさせること。すなわち「便利にすること」であり、「安全性」ではないことに矛盾がある、とも語る。
 
映画の中で多くの人物が語るように、時計の針を戻すことはできない。映像を見る限り、5年後、10年後には実現する技術であることを実感する。問いは、どこまで安全なのか、誰が責任を取るのか、どこまで機械に許すことなのか、ということである。そして、それは社会全体として今、決めなければならない岐路に立っている。
 
世界で初めて70年代にカメラを使った自動運転を研究した日本人として登場する工学博士の津川定之は、映画の終盤で、若い日産の社員に連れられて、横浜の高速道路を自動運転車で走る。

そこで津川はこう語る。

「一般に、機械の方が人間より優れていると思っている人は多いかもしれませんが、しばしば故障します。すると、機械に対する不信感はつのります。人間のドライバーは機械の限界を知るべきだと思います。賢くオートメーションを推進すべきです」

「それは自動運転とは呼べないのか?」との日産の社員の問いに対して、「厳密にいうと、運転支援と呼ぶべき。行動にドライバーに責任がないのが、純粋な意味での自動運転です」と言う。
 
「人間のドライバーは機械の限界を知るべき」、そして「安全こそが最も重要だ」という津川の断固たる言葉に、改めて我々人間にとって重要な価値は何だったか、知らされる思いがした。それほど、我々はテクノロジーと社会と人間が複雑に絡み合った世界に生きているのだ。

文=岩坪 文子

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