──「実際にフィールドに出て、初めてわかること」は何でしょう?
たくさんありますよね。ほとんどすべてだと言ってもいい。たとえばヒマラヤ遠征は、2〜3カ月かかる。普通だったら朝が来たから朝食、昼になったら昼食、というように決まった時間が繰り返される。でも、遠征ではそうじゃない。なんとなく、ではなく生きるために食事をし、意識して深く速く呼吸をし、自分の体調を整えるために睡眠を摂る。一挙手一投足が意識的になる。
そうやって2〜3カ月経つと、自分が生まれ変わるような感覚があります。なんというか、生き返るような、ゼロから生まれ直すような感覚です。たかだか2〜3カ月の体験なのに。
そして、日本に帰ると、たとえばジュースを飲むだけで、白米が食べられるだけで美味しいと思う。遠征では、氷河の氷をとかした砂まじりの水を飲んでいますからね。帰ってくると水道水も美味しい。バナナ1本でも美味しい。厳しい旅から帰ってくると、改めてそう感じます。
あとは、匂い。極地に行くと、いつも手袋をしています。寒いので鼻水が出ますから、手袋で拭う。その時に街で使っている洗剤の匂いがしたりする。その瞬間、極地にいるのに、「街」の時間が流れ込んでくる。厳しい環境にどっぷりつかっているのに、手袋で鼻をぬぐった瞬間、人工的な匂いであっという間に街に引き戻される。
逆に、東京でたまたま車の排気ガスがむっと鼻をついた瞬間、パキスタンの雑踏を思い出したり、ネパールのカトマンズの、排ガスに満ちた空気を思い出したりもします。フィールドに出れば出るほど記憶の引き出しが増えていくんじゃないか。
好きなものの一点を突き詰める。それが世界のすべてにつながっていく
──東京オペラシティアートギャラリーで開催中の、「石川直樹展 この星の光の地図を写す」のパネルの一つに、
「ぼくに島のことを教えてくれた写真家の平敷兼七は、生涯沖縄しか撮らなかった。なのに、彼は人間が生きるこの世界のことを深く知り、言葉以前の世界そのものと明確に向き合っている。小さな島から大きな世界を見つめ返し、一つの中央ではなく無数の中心へと向かう姿勢を、ぼくは彼から学んだといっていい」と書かれているのが印象的でした。
「井の中の蛙」を超えて、ある一点を突き詰めて行くと、井戸の底から宇宙のような広がりにつながって行くこともある。
ファーブルが昆虫と付き合いながら世界の深さに触れて行ったように、南方熊楠が粘菌と格闘しながら世界の真理にたどり着くように、旅をすることだけをことさら勧めるつもりはありません。とにかく自分の好きなものごとを突き詰めて行った先には、大きな世界と接続する瞬間が巡ってくるんじゃないか、そんな思いがぼくの中にあります。
世界を知るために世界じゅうを歩き回る必要はなくて、自分がピンとくるポイントを見つけて、そこを掘って掘って掘り進んで、鉱脈を見つけられたらいいと思います。
僕の場合は、世界を知る方法として自分の身体に合っていたのがたまたま旅することだったんですよね。それが一番自分にはしっくりきていて、生きている限り、旅することは続けていくはずです。
石川直樹◎1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。多摩美術大学芸術人類学研究所研究員。辺境から都市まであらゆる場所を旅する写真家であり作家。写真集『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞、『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞受賞の『最後の冒険家』(集英社)、『全ての装備を知恵に置き換えること』 (集英社文庫)、『極北へ』(毎日新聞出版)『 いま生きているという冒険』 (よりみちパン!セ)など多数。