私を変えてくれた凄い人たち 〜市原悦子さんの知られざる秘技とユーモア〜

23年前。千葉の茂原にて。撮影現場の温度計は38度を超えていました(記憶では)

このコラムでは、私の仕事の仕方、向き合い方を根本から変えてくれた恩人を紹介します。業種は違っても、何かを極めた一流の人たちの言動は、きっと、皆さんの仕事に役立つこともあると思います。

今回、ご紹介するのは、先月、お亡くなりになられた女優の市原悦子さんです。
 
市原さんは、「まんが日本昔ばなし」で常田富士男さんと2人、いくつもの声色で登場人物を演じ分けた声優として、また、25年続いたドラマ「家政婦は見た」の主演女優として有名です。その滋味のある声と演技で、強く、深く記憶に残る名俳優です。

23年前。私は、電通に入社して2年目。鈴木蘭々さんが主演していた東洋水産ホットヌードルのテレビCM撮影で、市原さんとお会いしました。
 
昨年の夏は、2020年東京オリンピックでのマラソンのスタート時間変更が検討されるほど、関東は異常な暑さでした。23年前、初夏の千葉県茂原の撮影現場は、体感的にはそれを上回る暑さでした。
 
その日、ロケ撮影にとっては完璧な晴天。一面が野原での撮影だったため、直射日光を遮る場所もなく、地面からの照り返しが強く、あまりの蒸し暑さで、息をするのも苦しかったほどです。国内の仕事でこんな経験は後にも先にもありません。

拭いても拭いても汗が吹き出て、私が着ていた紺色のTシャツには乾いた塩の波が幾重にも浮き出て、塩田のようになっていました。
 
メイクと着替えのために、モーターホーム(キャンピングカーのような車)で待機をしている市原さんの元へ撮影の段取りの説明に伺いました。淡い色の半袖の衣装で、日傘を差してセリフを言う役だったので、ワキに汗をかくと滲んでカメラに映ってしまいます。ワキパッドの使用はアングルによって見えてしまう可能性があるので、監督がスタイリストさんに対応策を要請していました。

すると、やり取りを聴いていた市原さんは、日本昔ばなしの、家政婦の、あの耳に残る声で、

「監督さん、大丈夫ですよ。私が、汗を止めますから」

と仰ったのです。

監督 : 汗を止められるんですか!?

市原 : 止めようと思ったら、止まります

監督 : ……

監督と私は顔を見合わせました。監督の目が「理由を訊いて!」と熱望していました。 
 
松尾 : どうして、そんなことができるんですか!?今日、とんでもない暑さで、皆、ずっと汗が止まらないんです。方法を教えてください!

市原 : 長年の鍛錬で、身につけたんです
 
松尾 : すぐにはできないんですか?

市原 : 役者の仕事をしていると、いろんな現場があります。夏に冬のシーンを撮ることもあるし、汗をかいてはいけないシーンもあります。そんな時、汗をかいたら撮影が止まって現場に迷惑をかけてしまうでしょ? だから、なんとか自分の意思で止められないかと、いろんな方法を試して鍛えていたら、止められるようになったんです
次ページ > 撮影の行く末は…

文=松尾卓哉

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事