ビジネス

2018.12.25 16:00

優れたデザインは「不自由への共感」から生まれる

ジョン・マエダ


知見を広げるべく、マエダはデトロイトやピッツバーグなどの貧困地域を中心に全米各地を回ることにした。現実は想像以上に厳しかった。
 
例えば、デトロイトで現金が必要になったとき、喫茶店のすぐ近くにあるATMを使おうとしたときのことだ。店主に「やめておけ」と言われた。強盗に遭う可能性があるからだ。結局、クルマを15分走らせて街の中心部にあるATMでお金をおろしに行くはめになった。
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テクノロジーが目の前にあるのに使えない。ユーザーにとっての利便性とは何だろう、と考えさせられたという。
 
一方で、マエダはある場所で「恐怖」と「希望」を同時に見出したと語る。米東北部のアパラチア山脈の炭鉱町である。その町では炭鉱の閉鎖に伴って労働者が次々と失職し、町全体から食物連鎖のように仕事が消えつつあった。労働者たちはスマートフォンすら持っていなかった。
 
それでも生活のために職を得る必要がある炭鉱労働者たちは、なんとプログラミングを必死に学んでいた。JavaScriptやPHPといったコンピュータ言語を習得すれば、遠隔地でも世界とつながり、プログラマーとして生計を立てることが可能だからだ。

各地で生じている深刻な経済格差、情報格差にショックを受けたマエダが希望を覚えた瞬間だった。

ジョン・マエダ流「サバイバル戦略」
 
マエダは15年以降、毎年、テクノロジーとデザインに関する報告書「Design in Tech Report」を発表している。テクノロジーとデザインの傾向とビジョンについて解説しているが、調査を重ねるうちに「怖くなった」と明かす。
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2015年以降、米テキサス州オースティンで開かれるサウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)でテクノロジーとデザインに関する報告書「Design in Tech Report」を発表している。Takramが日本語訳を公開中。

人工知能(AI)が驚異的な速度で進歩しているからである。機械学習はパターンさえ認識できれば、仕事を代替できる。つまり、今ある仕事がなくなるのだ。
 
では、企業や個人が生き残るためにはどうすればいいのだろうか。じつはマエダの生き方に、そのヒントがあるかもしれない。柔軟に所属する産業や職種を変えてきたように見えるが、大きく飛躍したのは42歳だった08年からである。
 
彼はバラク・オバマ大統領の著書『合衆国再生−大いなる希望を抱いて』(ダイヤモンド社刊)に触発され、前出のRISD学長職を引き受けることを決めた。「Yes we can.(私たちならできる)」という言葉に背中を押してもらったわけだが、その際も二つの段階を踏んだと振り返る。
 
まずは「Audacity(大胆さ)」をもって、自分の気持ちや好奇心に従い新しい世界に飛び込んでみること。やがて問題に直面するが、そのときは「Courage(勇気)」をもって立ち向かえばいい。その過程で否応なく新しいことを学ぶことになり、自然と別の見方を身につけられる。

そうしたさまざまな視点が交差するところに、新しいアイデアが眠っているのだ。これは「エッジ効果」のようなものである。生態学の用語で、生物が生息する境界部分が互いに作用することで起こる変化のことで、マエダはこれを世界的チェリストのヨーヨー・マに教わったという。

「沼地のような場所で生息する生命体は、水陸どちらのものでもありません。でも、そこで生きる生命体は稀少ではあるものの、概してたくましい。アマゾン川も水陸の接点を増やすことで生命体が繁殖する確率を高めるためにS字へ進化した、という説があるくらいです。直線的な人生では外界との接点はありませんが、非線形の人生であれば新しい考えが生まれる可能性が高いのです」
 
マエダなりのサバイバル戦略なのだ。もちろん、彼はいまも学び続けている。最近はYouTubeチャンネルを開設した、とうれしそうに話す。

「MITやRISDにいるときと違って、世界中の人たちとつながれるわけですから幸せですよ」
 
世界屈指のデザイナー、コンピュータ科学者、元学長、投資家、そしてYouTuberであるマエダから学べるようになるのなら、それは我々にとっても幸福なことに違いない。


ジョン・マエダ◎MITメディアラボの教授、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン学長を経て、eBay、クライナー・パーキンスで勤務。現在はオートマティックに所属している。

文=井関庸介 写真=ヤン・ブース

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