『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)
ヒントといえば、この本ほど大きなヒントを与えてくれた本はなかった。AI(人工知能)が人類を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」がやがて到来し、人々がAIに仕事を奪われる日も近いとまことしやかに言われているが、著者の新井紀子は「東ロボくん」と名付けた人工知能で東大合格を目指すプロジェクトに関わる中で、AIの“弱点”を見出す。
AIは「論理」「確率」「統計」という数学の言葉に置き換えられない言語の複雑な「意味」を理解することが出来ないということがわかったのだ。
では「やっぱりAIは人間に敵わない」のか──。安心するのはまだ早い。著者が日本人の読解力に関する大がかりな調査を行なったところ、驚くべき実態がわかった。中高生の多くが、教科書の文章すら正確に理解できていないというのだ。
AIに対しアドバンテージであるはずのわたしたちの「読解力」が頼りないという衝撃的な事実。この事実はまた、SNSにみられる誤解や曲解に基づいた不毛な非難の応酬などを解決する方法も示唆している。なによりもいまわたしたちが獲得すべきは、文脈を正しく読み解く力だ。
『ホモ・デウス テクノロジーと人類の未来』(河出書房新社)
AIのようなテクノロジーとわたしたちがどう向き合うべきか、また違った角度から光を当ててくれたのがユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)だ。
人類が何千年にもわたって頭を悩ませてきた飢饉、疫病、戦争という問題を、現代ではほぼ抑え込むことに成功しつつあると著者は言う。では過去の難題を克服しつつある人類は、これから何を目指すのか。著者はそれを「不死」「至福」「神性」であるとする。これにより人類はホモ・サピエンスから「ホモ・デウス」へとアップグレードされる。
たしかにバイオテクノロジーが急速に進歩したことで、人類は生物のDNAをあたかも神のように編集できる力を手にした。いまや生命をアルゴリズムでとらえる新しい人間観が生まれている。
そうした新しい人間観は、わたしたちの自由意志すらプログラミングされたものに過ぎないとする。なんだか暗澹たる気持ちになるが、著者は悲観すべきではないと言う。人類の未来を輝かしいものにするか、それともディストピアにするかはわたしたちの選択にかかっており、そのために必要なのは歴史を学ぶことだと著者は強く訴えるのだ。
STEM教育が脚光を浴びる一方で、著者のような世界的に注目される知性の持ち主が、古典的な人文学の有効性を訴えていることは注目に値する。