ヴェールを剥がす作業が楽しい
イビサは、来るたびに違う顔を見せてくれる。最初にイビサに来た時は、ひとりで修行のようにクラブをまわったし、女友達と来た時は、とにかく食べ飲み泳ぎ、ドラマの「セックス・アンド・ザ・シティ」よろしく、ワイワイ猥談しまくった。そして、今回は夫と来て、桃源郷を見つけた。
旅においては、初めての土地を訪れた時、「異国情緒」というヴェールに高揚する。建造物や色彩、気候、歴史、そして己にとっての非日常という視座。空港に降り立った瞬間は、土地特有の匂いや車窓から見る真新しいものにワクワクする。
とはいえ、旅は恋と同じで、異国情緒や憧れとかそういうヴェールを剥がしていくのも面白い。ヴェールを剥いで、正体をじっと観察し、自分もその土地に同化していくには、知識と動物的勘そして足腰が必要となってくる。恋であれば、そこで肉体そのものが必要となるし、ヴェールを剥がしすぎたら、時に興ざめもする。
旅を続けることで異国情緒への耐性がつき、すぐに土地の実像をつかみとれる人もいる。逆に異国情緒や憧れだけを感じて楽しむことこそが旅なんだという人もいる。ワンナイトラブこそが興奮するという人がいるように、旅選びと恋の仕方は、もしかしたら似ているのかもしれない。
私のように、ヴェールを剥がす作業そのものが楽しいと、同じ場所を何度も訪れることになる。作業の進捗状況で、自分の視座や知識量、ものの見方の変化に気づいたりする。解けない数式を、時間をかけて、いろいろな方向からアプローチするような感じだ。そして、徐々にその土地の存在が自分の心の支えとなっていく。
幼少期に比較的転勤が多く、全国を転々とし、中高も私立一貫校だったため、いわゆる「地元」が私にはない。地元ないから地元の友達もいない。地元が育むいろいろなものに憧れたこともあった。ひとりっ子のこともあり、友達と遊んだ記憶より、その土地土地の風景や山河やらをぼんやり見つめていた記憶ばかりがある。
ないものを思う感情は、サウダージと言えるかもしれない。結果、勝手にいろいろな土地の好きな場所を心のふるさとにし、アイデンティティの苗床にしてきた気がする。それが旅を求めたり、同じ場所に何度も向かったりしたくなる根源かもしれない。
旅は、そうやって、自分に欠落したものを探して、拾いあつめて、ストックしていくのが面白い。たとえ偽物のふるさとでも、それを心のお守りにして生きていける。そして欠落は永遠に埋まることもないからこそ、いくつになっても旅は面白い。そうして、もう、次はいつイビサに戻ってこようかと、手帳とにらめっこしている。
連載:TOKYO女子力マニフェスト
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