問題は理解できないことではなく、寛容になれない態度
杉山:先ほど、LGBT差別は差別する側がLGBTを「知らない」ことで始まるというお話をしました。僕は「知る」のは本来とても楽しいことだと思っていますが、LGBTを差別する人の中にはLGBTについて知りたくない人もちらほら見受けられます。
村上:彼らは自分が理解しえないものを認めようとしないんですね。彼らにとっては「理解できるものは善」で「理解できないものは悪」という善悪をベースに生きてきた人たちのことです。
善悪の二元論を基盤にすると、自分と異なる意見と出会った時に、「その意見は理解できない! 悪だ!」と、存在すら認められなくなってしまう。つまり僕は、LGBTを理解できないことではなく、異なる意見に寛容になれない姿勢こそが問題だと考えています。
善悪ではなく、単に自分がLGBTを嫌いなだけだと気づかなければいけない。個人の好き嫌いの問題だとわかれば、「LGBTは規制すべきだ」といった差別的な振る舞いは少なくなるはずです。まずは「善悪フレーム」から「好き嫌いの問題」に移行することが大切です。
杉山:LGBTへの振る舞いが不適切だと、ビジネスで大きな損失を生まれることもないですからね。個人的に「どう思うか」を強制する必要はありませんが、実際に傷つく人がいる以上、差別的な発言は絶対にしてはいけない。
まずは差別的な振る舞いが悪いことだという認識をもったうえで、いろんな人と触れ合って何が最良なのかを考えてほしいですね。
村上:いま差別的な発言をしている人たちも、人を傷つけるべきではないという認識はもっているはず。僕らがすべきは、どうやってその前提を実現できるかを考えること。
マジョリティとマイノリティの間には、「安心して過ごせる」の度合いに明らかなギャップがあります。まずはそこを埋めなければ。
杉山:ダイバーシティとは「マイノリティに特権を与えること」ではなく、「多様な人の生きやすさを保証するためのもの」です。
このことを理解してもらえれば、もっと活動は簡単に進むはずですよね。あらゆる人が年齢や性別に囚われずに、それぞれの能力を発揮するために必要なことなんです。
村上:まさにその通りです。リンクトインでは、自然にそれを実践している気がします。なにせ僕も社員の年齢をあまり知りませんから。これは年齢を意識する必要がないということですよね。
杉山:最近気になったのですが、友人に「子供生まれたんだ」と言われたとき、多くの人はすぐに「男の子? 女の子?」と無意識で聞いてしまう。
そういう反応は別に悪いことではないですが、性別を気にするべき、あるいは気にしてはいけないという「○○すべき」の考え方が良くないのかもしれません。
村上:定められた姿から外れた人を責めるよりも、なりたい姿になろうとしている人を応援できる社会がいいですね。マイノリティの活動も、「我々に人権を!」みたいな姿勢よりも、それが実現するとみんなが幸せだと示してほしい。そうすれば自然と差別もなくなるはずです。
マイノリティを支える制度がないと考えると難しく思えますが、まずは事実先行で自分たちも全力で楽しんでみればいい。そうすれば、その幸福に制度が追いついてくるんじゃないでしょうか。