安楽死と聞いてすぐに思い浮かぶのは、ナチスドイツが第2次世界大戦前、精神障害者や極めて重度の身体障害者に対して行っていたことだ。もちろん、現在では安楽死は、ヒトラーが唱えた「民族浄化」ではなく、命にかかわる病気や極度の痛みに苦しむ人たちへの「人道的な」措置として、正当なものとされている。
それでも道徳的な嫌悪感を拭えないこの行為が合法化されて以降、ベルギーとオランダでは数千人が安楽死している。ベルギーでは子供にも安楽死が認められており、先ごろ同国が認めたところによれば、2016~17年の間に脳腫瘍と嚢胞性線維症の患者(それぞれ9歳、11歳)と、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの患者(17歳)が安楽死によって人生を終えた。安楽死の擁護派は、本人も親も「同意していた」と言う。だが、私たちは子供にそのような決断をさせるべきなのだろうか。
オランダでは“必要な病床数”を確保するため、本人の同意なく複数の患者に致死量の薬物が投与されるという不祥事が発生している。そのようなことをしたのは、これらの患者は「いずれにしても余命が短かった」からだという。
一方、最近の報道によれば、ベルギーでは昨年、安楽死の実施を管理・評価する連邦委員会のメンバーが、「認知症患者が無計画に殺害されていることへの抗議」として辞任している。
両国が直面しているのは、醜悪で、そして危険な未来だ。病人の苦痛を和らげようとするのでもなく、そうするためのより良い方法を編み出そうとするのでもなく、家庭で飼われているペットと同じように、人をただ「苦痛から解放させて」いる。
また、こうした恐ろしいことが起きているのは、ベルギーとオランダだけではない。カナダではある慢性病の男性が、自国政府を提訴している。違法であるにもかかわらず、医療関係者が費用を抑えるためとして、男性にほう助自殺を強要したというのだ。原告の男性は、「なぜ人生を終わらせることを強制しようとするのか」と疑問を投げかけている。
ある研究結果によると、安楽死や自殺ほう助でこの世を去った多くの“犠牲者”たちは、うつ病に苦しんでいたこと分かっている。こうした人たちは見捨てられるのではなく、治療を施されるべきだ。
人口の高齢化が進み、国の財政がひっ迫し、保険会社が医療費抑制の方法を見つけようと苦心するなか、安楽死に解決策を求めようという声はますます強まるだろう。だが、人の命が極めて神聖であるということは、宗教心とも関わりのない自明の理だ。
医療は大幅に進歩し、それは私たちの寿命を延ばしただけでなく、生活の質を向上させてきた。だが、医療費の増加という問題は残されている。この問題への対応に必要なのは、今はほぼ存在しない真に自由な、政府や保険業界だけが支配的な力を持つのではないヘルスケア市場を確立することだ。
米国は安楽死やほう助自殺の容認という落とし穴に陥るのではなく、ヘルスケアにおける自由市場の創出を目標に掲げ、その実現を急ぐべきだ。