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「全米球場跡地巡り」に感じるロマン

幻の球場跡地で食した「ボールパーク・バーガー」

ミネソタ州ミネアポリスのダウンタウンに、かつてアスレチック・パークという名前の球場があった。この球場は、1889年から96年までマイナーリーグ、ウエスタンリーグに所属したミネアポリス・ミラーズの本拠地だった。

1888年までアメリカには38州しかなく、1896年までに7州増えて45州になった。野球界では、現在のルールのように、打者が4ボールで一塁に歩けるようになった。それまでは5ボールだった。この頃から1890年代半ばまでに、ようやく選手がグラブを使用するのが一般的になった。アスレチック・パークは、そんな時代に存在した球場だ。

アスレチック・パークがあった場所は、ミネアポリスのダウンタウンの中で最も賑やかな繁華街になっている。ある日、跡地にあるスポーツバー「バー508」のフードメニューを見て、目が釘付けになった。「ボールパーク・バーガー」という名前のハンバーガーがあったからだ。

この店がアスレチック・パークの跡地にあるためなのか、あるいは、ミネソタ・ツインズの本拠地、ターゲット・フィールドに近いからなのか、どうしても知りたくてウェイトレスに聞いてみたが、何も知らなかった。突然19世紀の球場のことを聞かれたのだからやむを得ない。

跡地に行かなければ知り得ないこと

これまで数多くの野球場跡地を訪れた。現地の歴史協会等の尽力によって記念碑等が設置されている跡地がある一方で、記念碑等はないものの、そこに球場があった痕跡が様々な形で残っている跡地もある。アメリカでは、既に取り壊されてしまった球場についての多くの書物が出版されており、そのほとんどを読んだ。インターネットでもかなりの情報を収集した。

しかし、実際に跡地に足を運んでみると、そこに行かなければ得られない情報や新たな発見がある。これこそ百聞は一見に如かず。跡地巡りの醍醐味だ。しかし観光地でもない場所で、カメラ撮影している謎のアジア人。どう見ても怪しい。実際、警察に職務質問されたこともあるし、跡地の雑草の中から突然シカが出てきて、驚かされたこともある。それでも、そこに行かなければ得られない何かを求めて、僕は跡地を目指して全米を旅した。


アスレチック・パーク跡地の大半を占めるバトラー・スクエアと呼ばれる雑居ビル

アスレチック・パークは、今から120年以上前に、マイナーリーグの球団が8年しか使用していなかった球場だ。そんな球場跡地に記念碑があるなんて期待できない。しかし、そこは実際にプロ野球の試合が行われ、大勢の観客が詰めかけた場所だ。その歓声が聞こえないにしても、きっと何らかの痕跡が残っているはずだろうとの淡い期待を抱いて、この球場跡地を訪ねた。

アスレチック・パークは、両翼まで250フィート(約76m)しかない小さい球場だったため、打者に有利な球場だった。当時は現在と異なり、球の質が悪く、球が飛ばなかったデットボール時代だったが、この小さな球場では本塁打が量産された。また、ライトゴロでアウトになることも珍しくなかったという。

1894年と1895年のミラーズの1試合あたりの得点は10点以上で、一塁手だったペリー・ワーデンという選手が1894年に42本塁打、1895年に45本塁打という当時ではあり得ない記録を残している。この記録は、後にベーブ・ルースに更新されるまでプロ野球記録だった。

球場のあった区画を歩いてみたが、驚くほどほど小さかった。当時の地図と現在の地図を照らし合わせてみると、この小さな球場があった場所がそのまま区画として残っていることが分かる。120年以上前に球場はなくなり、跡地はミネアポリス繁華街の中心地と化しているが、土地がそこに球場があったことをしっかりと覚えているのだ。

文=香里 幸広

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