ビジネス

2018.08.06

ピープルビジネスとは何か? 「地球全員が一肌脱ぐシステム」への道

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二宮尊徳は金融の互助扶助システム「五常講」で、荒廃した農村を自立させた。その「五常」を社名に掲げた青年が目指す、「民間版の世界銀行」とは──。


「さあ、行きましょう」。ローンオフィサーと呼ばれる若い女性たちの弾んだ声に促されて、私たちは社屋の庭に停めてあるワゴン車に乗り込んだ。

向かうのはミャンマー最大の都市ヤンゴン近郊、低所得者層の居住区域だ。軍事政権時代の1990年代に政府が開拓した地域だという。言論統制、欧米による経済制裁、鎖国。現在、こうした状況は民主化で変わったとはいえ、この国はいまも国連の最貧国リストに名を連ねる。

ワゴン車に乗ったのは、「マイクロファイナンス・デルタ・インターナショナル」の社員たちである。社員数213人。ミャンマー国内に約4万人の顧客をもつ。社名の通り、ノーベル平和賞で有名になったムハマド・ユヌスのグラミン銀行と同じく、少額融資を行って経済的自立を促すマイクロクレジットや、預金業務を取り扱うマイクロファイナンス(以下、MF)が業務だ。

そして、私の隣のシートで静かに電子書籍を読むのは、36歳の慎泰俊。同社を子会社化した「五常・アンド・カンパニー」の共同創業者兼代表取締役である。慎は2014年に会社設立後、ミャンマー以外にもスリランカとカンボジアのMF機関やMF機関と提携するインドの金融会社を子会社化。五常は子会社株式の過半数を保有するホールディングス企業であり、創業4年目ながら世界に8万人の顧客をもつ。

車から降りて、私たちは小さな集会所に入った。床には女性たちが座り、数えると45人。若い奥さんから上は62歳まで。頬にはミャンマーでよく見る「タナカ」という白っぽい日焼け止めを塗っている。今日は週に一度の「借り手ミーティング」である。融資を得た借り手が顔を合わせ、毎週の返済と事業報告を行う。

東京を発つ前、この借り手ミーティングについて、こんな声を聞いていた。「絶対に見ておいた方がいい」「あれこそ、金融の本質だ」「借り手の話を聞いていると、ワクワクする」。

しかし、耳に残ったのは、別の言葉だった。五常・アンド・カンパニーに投資した上場企業の役員に話を聞いた後、オフィスビルのエレベータホールで、別れ際にこう言われたのだ。

「あれこそ、ピープルビジネスですよ」

それはどんなビジネスなのか。ピープルビジネスをめぐる旅を、まずは「五常」設立以前に遡って始めてみよう。

2012年、ジャーナリストの津田大介は、編集者から「津田君、これ、絶対に好きだと思うから読んだ方がいいよ」と、本を渡された。題は「ソーシャルファイナンス革命」。著者は当時PEファンドの投資プロフェッショナルだった慎泰俊。津田は椅子に腰掛けて、「はじめに」を読み始めると、「すごく意外だった」と言う。「こういう思いをもった若い人が金融の世界にいるのかと思い、僕は会ってみたくなったんです」

「はじめに」は、慎の個人的な話から始まる。アメリカの大学院への進学を断念せざるをえなくなり、早稲田のファイナンス研究科を目指し、合格した。だが、入学金と授業料に必要な120万円を用意することができなかった。母は周囲に相談したが貸してくれる人物は現れず、途方に暮れたという。

父は朝鮮高校の教員を長く務め、在日同胞から慕われていたが、人にお金を借りることをよしとしない清貧の人だ。その父親がどこかで頭を下げ、学費を借りてきた。こうして勉強する「機会」を得た彼は、その後、モルガン・スタンレー・キャピタルに入社すると、再びお金で悩まされる。無心する者たちが現れては、返す返さないで人間関係に亀裂が入り、お金より大切なものを失ったのだ。

彼は痛感したという。〈人間関係とお金の関係は密接に結びついている〉と。では、返済のよい仕組みがあれば、人間関係も社会もよくなるのではないか──。

津田は慎の本を読んだとき、東日本大震災の被災地に年間50回以上、通っており、自身の関心事と本が重なった。

「僕は出演しているJ-WAVEの『Jamthe WORLD』に彼をゲストとして招きました。これが付き合いの始まりでした」
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文=藤吉雅春 写真=福島典昭

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