井上くんは、24時間365日無料で使用できるコワーキングスペースに、水道橋のシーシャ・カフェ「いわしくらぶ」から、シーシャ(水タバコ)を喫するときに使用する器具を無償でレンタルしている。メンバーやゲストがこのシーシャを使う場合、独自通貨の「10,000IWASHI」を払わなければならない。
10,000IWASHIは、Chat Baseに置いているシーシャの原価を計算して、1回「いわしくらぶ」に行って使う1500円の価値に設定しているが、実際に水道橋のカフェに1回行くと、10,000IWASHIがもらえる。
つまり、このIWASHI COINは、「いわしくらぶ」に足を運ぶ人の数や1人当たりの頻度を増やすことを目的とした、自分たちのコワーキングスペースとカフェとの経済圏をリッチにする手段なのだ。すでに「トークンエコノミー」が現実化している場所がこれほど身近にあったのが驚きだった。
「お金は価値交換の手段ですが、人との関係を密にするツールにもなります。自分が何かを得るために価値交換するのではなく、何かを人にあげたいから価値交換するのだと思っています」
このような独自の貨幣論を語る井上くんだが、お金の未来については次のように語る。
「近いうちに、さまざまな独自通貨を、保存管理するウォレットのアプリを開発を考えています。これからは持っている通貨の種類と使用量や得た量などが個人の価値を評価する指標になると思っている。1対1の価値交換が真実だから、本当は1人が1つの独自通貨の発行元になっても良いと思っています」
わたくしも、「田中宏和通貨をつくったら交換しよう」と軽いノリで井上くんに対応しながら、自分なりに来るべき「お金」の世界を考えてみた。
おそらく1つの通貨のみを使って、物やサービスの対価を即時決済するというのは、国民国家というシステムができてからのせいぜい200年くらいの歴史しかないのではないだろうか。とくに即時決済には、その都度、関係を断ち切るという側面がある。
以前、仕事でお世話になっている日本の伝統色の再現に取り組む第一人者、京都の吉岡幸雄さんと会食した際、会計を割り勘にしようとしたら、「割り勘にしたら頭悪うなるでえ。ご馳走になって、次に相手に何を返そうかと頭使うんが、大事なんや。そうやって関係が続いていくんや」とたしなめられ、いたく感心したことがある。
対等のお金で関係を即時清算するのではなく、単に次にご馳走し返すだけでなく、贈り物やおもてなしといった「トークン」も使って返礼することで関係性が深まっていく。
生まれ故郷の古都の知恵は、現代社会では見えない真実を明らかにしてくれる。つまり、貨幣は井上くんの言うように人間関係の交換手段なのだ。
今後、リアル、デジタル問わず、「居場所」となるコミュニティは、それぞれの独自通貨を発行し、なかには使わないと価値が減る「減価する貨幣」や、宝くじ的要素を組み込んだ貨幣など、コミュニティの個性を反映したさまざまな種類の貨幣が世の中に出てくることになるだろう。
個人は、複数の所属するコミュニティと多種類の保有する通貨を分散させるポートフォリオ設計をしながら生きていくのではないか。