多くの業界にDXの波が押し寄せる中、医療も例外ではない。日本の医療現場が抱える複数の課題と、それらを医療DXで解決していく可能性について、長澤は語る。
「まず医療機関の収益性を確保する難しさがあります。高度な医療を提供する医療機関では、手術に関連する疾患の診療が収益の6割を占めるといわれています。実は収益を上げるには、手術室の稼働率を上げることが大切なのです。しかし、手術室は効率的に使われているとはまだまだ言い切れないのです。手術は患者さんの状態や術式、執刀医によって手術時間が異なりますし、事前の想定を超えて時間がかかる場合もあります。そのため余裕をもって手術室や関連する設備、人員のスケジュールを確保する必要があり、結果的に手術室の空室の時間が発生し、効率的に使われていない状況が生まれています」
もう一つの課題は医療スタッフの慢性的な人手不足だ。さらに2024年からは医師の働き方改革の新制度が施行され、残業時間の基準も定められた。
「医師の残業を減らし、基準を遵守しながら医療の質を担保していく必要があります」
こうした医療現場の課題は日本だけでなく世界中で起きている。その点において世界でもリードをとっているのが北欧だ。
「スウェーデンの企業であるゲティンゲは2006年から医療DXのシステム開発をしています。また、スウェーデンの隣国デンマークでは国策として国営病院の8割に当社の患者フロー管理システムを導入し、医療現場のDXを実現しています。一方、日本の医療DXはやっと始まったばかり。電子カルテを導入している医療機関もおよそ半数で、ようやく本格着手し始めたところです」
手術室と病床の稼働率向上が病院の現場と経営を変える
ゲティンゲはヨーロッパからビジネスをスタートさせ、現在は135か国で事業展開。世界で実績を積み上げてきた企業だ。その特徴は製品のポートフォリオの幅広さにある。「手術室でいえば、手術に使用する人工呼吸器や麻酔器、人工心肺などの機器、手術台や照明器、周辺設備まで広く手がけ、病棟でのスタッフの動線を考えた手術室全体の設計サポートも行っています。医療スタッフが安全に、効率よく患者さんの治療に集中できる環境を考えたソリューションが強みです」
手術室を知り尽くしているからこそ、ゲティンゲの医療DXは病院の稼働率と経営の改善に直結する、と長澤は語る。そのソリューションは、日本の医療現場をどのように変革していくのだろうか。
代表的なソリューションのひとつが手術室の稼働率を上げる手術室マネジメントシステム『Torin(トーリン)』だ。過去の手術記録をAIに学習させることで、術式と執刀医の組み合わせから手術の所要時間を予測。さらに人員・機器の管理状況から適材適所なアサインを行い、最適な手術スケジュールを提案する。
「手術には看護師、臨床工学技士などといったスタッフ、そして手術に必要な機械の準備も必要です。こうした人員の配置、機器の管理はまだまだ紙や白板などアナログな手段で行われている病院も多く、その手配に電話でやりとりする場面などは病院でもよく見かける光景です。Torinではこういった複雑な調整作業をすべて一元管理できるようになっています」
これまでのゲティンゲでの導入事例によれば、手術室のリソースや稼働率が可視化されることによって、俯瞰的なデータ分析で経営判断のサポートにもつながっているという。
日本では、2024年夏、名古屋市立大学病院にTorinが導入されている。年間約1万件の手術を手掛ける同病院でも、手術のスケジューリングや機器管理の業務効率化に期待している。
「手術室のスケジューリングが最適化されることで、緊急オペを受け入れるための時間枠をつくり出すことができたという事例もあります。稼働時間内に救われる命が増える可能性が広がるということですから、手術室の稼働を向上させることは効率化以上の価値があるのではないでしょうか。」
もうひとつの代表的なソリューションは、病床稼働率を上げる患者フローマネジメントシステム『INSIGHT(インサイト)』だ。患者の外来の診察情報と入院~手術~退院するまで流れを一元化して管理、リアルタイムでの病床の状況を共有し、病棟スタッフのシフト効率化につながる。
「病院では手術予約や入院手続きなどの際に、医療スタッフ同士のコミュニケーションが多く発生します。これらを効率的に行うことができれば、医療スタッフの負担は減り、患者さんと向き合う時間も充実します。日本では船橋整形外科病院に導入いただきました。整形外科の専門病院であり、三つの病棟をもつ病院です。この病院では、スタッフから現場の業務を改善したいという要望があがったことから導入が実現しました。それまでは患者さんの情報をホワイトボードに手書きで管理し、三つの病棟の状況を知るためにスタッフが電話で連絡を取り合っていたそうです」
INSIGHTを導入後、情報をすべてデジタル化して統合したことで、モニター画面を見ればすべての病棟のベッドの空き状況を確認できるようになった。医療スタッフの業務負担は以前よりも軽くなり、これまで15分かかっていた入院予約の業務が1分に短縮された。
「院長先生がベッドの稼働状況をすぐに確認できるようになり、経営分析にも役立ったそうです。さらに業務が効率化されたことで、現場の看護師さんがとても喜んでいたとお聞きしました」
こうした業務改善は看護師の働き方改革にもつながり、ひいては看護師の定着という効果を生んでいる。病院は慢性的に人手不足と言われているが、現場オペレーションのDXは医療スタッフが定着しやすい職場環境を生み出し、安定した医療スタッフの確保にもつながっている。
事業の多様さは、多様な人材とセット
ゲティンゲはスウェーデン発の企業だ。北欧といえば高いサステナビリティ意識や、EUならではのエコデザイン規則などが連想される。ゲティンゲもその遺伝子をしっかりと受け継いでいる。「もっとも大きな特徴は、サステナビリティへの意識の高さです。2050年までにネットゼロを目指すというスローガンを掲げ、SBTi認定を取得しています。2021年からは、環境に配慮した製品開発を行っています。例えば、95%リサイクル可能な部品によって作られた手術室の照明器を販売しています。ほかにも滅菌器使用時の水の消費量を従来品に比べて95%削減するなど、有言実行で製品開発を進めています」
長澤自身はゲティンゲグループ・ジャパンの社長に就任するまで、コンサルティングファームで医療系のクライアントを担当し、製薬会社で働いた経験をもつ。医療の世界に関わってきた視点から、ゲティンゲの魅力はその多様性にあると語る。
「マネジメントチームの約半数が女性です。医療機器業界は女性比率が低い企業が多いので、業界団体の会合やお客様との面会のときにも驚かれることが多いですね。ゲティンゲの製品は領域が広いため、社内にはさまざまなケーパビリティをもつ社員がいます。事業に多様性があるからこそ、人材の多様性も広がっています。また多種多様な製品からさらに面白いイノベーションが生まれていきます。その面白さと可能性の広がりがゲティンゲのユニークさです。一人でも多くの医療現場の方に、我々が良いと信じて開発している製品やソリューションを届けて役に立ちたい。その思いが、我々のイノベーションの源泉になっています」
ゲティンゲグループ・ジャパン
https://www.getinge.com/jp
ながさわ・ゆうこ◎ゲティンゲグループ・ジャパン代表取締役社長。大学卒業後、三菱商事に入社。2007年ハーバード・ビジネス・スクールにてMBA取得。マッキンゼー・アンド・カンパニージャパンにてヘルスケア業界を含む顧客企業へのコンサルティングを経験した後、2012年グラクソ・スミス・クラインに入社。2019年より執行役員ワクチン事業本部長を務めた後、2023年より現職。