無能だった私を変えてくれた凄い人たち ──CM監督 市川準さん(前編)

このコラムのために奥様から拝借した市川監督の写真。とてもやさしい、ご尊顔ですね。

このコラムの元は、アドタイで掲載されたものです。それがフォーブス ジャパン編集者の目に止まり、今回から、こちらで加筆掲載されることになりました。読者の皆さま、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

このコラムでは、私の仕事の仕方、向き合い方を根本から変えてくれた恩人たちを紹介します。業種は違っても、何かを極めた一流の人たちの言動は、きっと、皆さんの仕事に役立つこともあると思います。
 
一人目は、テレビCM監督、映画監督の市川準さん。
 
「私はこれで、会社を辞めました。の禁煙パイポ」「金鳥・タンスにゴン。キンチョール」「ヤクルト・タフマン」など、人間の可笑しさ、理不尽さをチャーミングに描かせたら、右に出る者がいないと言われた監督です。映画でも、「つぐみ」「トニー滝谷」「BU・SU」「大阪物語」「ざわざわ下北沢」などの名作をたくさん残していらっしゃいます。

市川さんの最後のCM制作になったのは、私と一緒に取り組んだ高橋酒造の『しろ』です。

スポンサーの社長試写が終わり、市川さんと別れてすぐに、私は当時住んでいたシンガポールへ帰国する飛行機に乗りました。8時間後、チャンギ空港に到着し、携帯電話のスイッチを入れた途端に、電話が鳴りました。

「市川さんが亡くなられました…」

天国に旅立たれて10年が経とうとしていますが、面白い企画ができた時、「この企画、市川さんにお願いしたいなぁ……」と、いまだに言ってしまうことがあります。
 
市川さんは、撮影現場を誰よりも楽しんでいました。

面白いシーンの撮影で、同録(音声もその場で録音)しているのにシーンに没頭するあまりに、ゲラゲラと声を出して笑って、音声スタッフさんに叱られるのを何度も見ました。また、役者の演技に没入して「カット!」の声をかけ忘れ、「フィルムがもったいない…」とプロデューサーに注意を促されたことも度々ありました。

味の素の『ほんだし』のCM。樹木希林さんと田中麗奈さんが母娘を演じ、7年続いたシリーズのある年。
 
プレゼンしたCM企画コンテに対して、スポンサーに“押さえの台詞”を求められました。広告制作に長けたスポンサーなので、通常はそんなことを求めません。さまざまな事情があったのです。
 
衣装フィッティングの時、希林さんへCMコンテを説明しながら、私が「この台詞を押さえで撮らせてほしい」と言いました。その帰り、2人きりになった時に、市川さんに諭されました。

「プロに、“押さえ”なんてことを、絶対に言ってはいけない」
「プロにお願いする時は、すべてのことを、本気で頼まないといけない」と。

私は企画した当事者として、「その台詞は私の考えたものではない。私が呑んだように、あなたも事情を呑んでください」という「逃げ」をつくっていたのです。
 
プロの技術に対して敬意のない発注をしてしまった自分を恥じました。 

『ほんだし』が私の電通での最後の仕事だったので、市川さん主催で主要制作スタッフが送別会を開いてくれました。

市川さんはその締めの挨拶で、「みんなにお願いしたい。もし、今後、松尾が我々に仕事を頼んできたら、それがどんなものであっても、1回は断らずに、必ず力を貸してやって欲しい」と全員に頭を下げてくれました。

それから月日が経ち……

市川さんとは、なかなか仕事をする機会がありませんでした。そして、4年が過ぎたある日、受けてくれるはずがない小さな仕事を依頼したら、「約束したからなぁ」と市川さんは笑って受けてくれました。

武士に二言無し。
 
口約束を守る人が一番信頼できるのです。それは、契約書無しでは物事が進まない外資系広告会社に私が在籍していた時のことで、とても新鮮な響きでした。

業界の挨拶代わりの「今度、飲みに行こう」は、それからは二度と言っていません。言った時は、必ず行くようにしています。(後編へ続く

文=松尾 卓哉

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