鞄から2枚のDVDを取り出すと、三輪玄二郎は少し照れくさそうに「これです」とテーブルに置いた。1枚は『セックスと嘘とビデオテープ』。1989年、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した世界的ヒット作だ。スティーブン・ソダーバーグが26歳のときの監督デビュー作であり、彼はのちにハリウッドを代表するアカデミー賞受賞監督になる。
もう1枚は、パッケージに高倉健とトム・セレックの二大スターが並ぶ『ミスター・ベースボール』。92年の日米合作で、中日ドラゴンズに入団したメジャーリーガーを描いたものだが、三輪は「興行的にはコケしました」と苦笑する。
遅れて会話に加わったラクスルの松本恭攝は、初対面の三輪の話を掴めず、「映画の脚本を書かれていたのですか?」と不思議そうに尋ねた。無理もない。三輪が社長を務めるメガカリオンは映画とは無縁だ。血小板を再生する細胞「巨核球(メガカリオサイト)」にその名を由来し、iPS細胞から血液製剤の大量生産を目指す注目企業である。
「以前、私はアメリカで映画製作会社をつくったことがあり、その第一作がこれなんです」と、三輪はカンヌ受賞作を指さした。84年生まれの松本が5歳のとき、カンヌ受賞作を製作した日本人が、なぜiPS細胞の研究者たち、しかもノーベル賞を受賞する前の山中伸弥教授と出会い、アメリカ国防総省までが乗り出してくる企業をつくったのか。
66歳の三輪と33歳の松本。起業家ランキングで同点1位に並んだ二人に共通点があるとしたら、誰の人生にも降りかかる偶然の出会いやアイデアの閃きを、「0から1」以上に、「1から100」に大きく事業展開させた点だろう。
では、どうやって? その「How」の物語を聞こう。
三輪は起業のきっかけを、「まったくのアクシデント」と言う。2008年、彼は母校、麻布高校の同窓会に足を運んだとき、旧友の中内啓光・東京大学医科学研究所教授に再会した。お互い滅多に同窓会には顔を出さないのに、この日に限って出席したのは恩師が定年退職すると聞いたからだった。
立ち話をしていると、中内はiPS細胞から血小板をつくる研究をしていると三輪に打ち明けた。三輪が振り返りながら説明する。
「これは輸血医療の第二のイノベーションだと思いました。輸血は医療のインフラです。特定の病気に関係なく、使われます。1900年に血液型の発見によって輸血が始まって以来、健康な人の献血を患者さんに使う医療が、117年続いています。しかし、いまこの仕組みの維持が危惧されているのです。原因は少子高齢化で、年金の問題と構造が似ています。
献血をする人の8割以上が50歳未満。一方、輸血を使う患者さんの85%以上が50歳以上です。年金と同じく、若い献血者が減り、輸血を必要とする人が増えています。需給のバランスが維持できないため、厚生労働省は10年後の2027年に年間約85万人の献血者が不足すると算出しているのです」
感染の問題も深刻だ。アメリカに存在しなかったジカ熱の感染者が発生したのは輸血が原因である。また、献血が浸透していない途上国では、闇市で売血が行われている。
「インドでは昨年だけで2000人以上が輸血時にHIVに感染しています」と、三輪は話す。リスクがない、無菌化した血液の提供が必要となるなか、iPS細胞から血小板をつくる技術開発に成功したのが、前出の中内教授と現在京都大学iPS研究所の江藤浩之教授のチームだった。しかし、同窓会の立ち話で、中内は三輪に「研究者だけでは、実用化は進まない」と、協力を仰いだのである。
試験管で成功しても、自動化した培養器で年間100万パックの血液製剤を生産できるかというと、「そこはサイエンスというよりエンジニアリングの世界」と三輪は言う。大学発ベンチャーがなかなか成功しないのも、研究者だけでは産業化への展開が難しいからだ。工業化ができなければ海外勢に先を越される恐れがある。しかし、この話を聞いて、経験上、三輪はピンときたという。