だがここでひとつ疑問が浮かぶ。私たちが何かを選ぶとき、それを選んでいるのは誰だろうか? もちろん「自分」と答える人が圧倒的に多いだろう。だが、そういう人には重ねてこう問いかけてみたいのだ。「選んでいるのは本当にあなたですか?」と。
たとえばこんな経験はないだろうか。
年始に「今年こそダイエットをする」と目標をたてたあなたは、ある日仕事帰りに寄ったコンビニで新作のアイスクリームが発売されているのを発見する。ついこの間、ダイエットを誓ったばかりのあなたは迷うはずだ。新年早々誓いを破るようではあまりに意志が弱すぎる。頭ではそう理解出来てはいるものの、そのアイスは大好きなブランドのものだし、どうしても食べてみたい。理性とは別の強い欲求が湧き上がってくるのをあなたは押し止めることが出来ない……。
結局、アイスに手を伸ばしてしまった。この時、あなたにアイスを手に取らせたのはいったい誰だろうか?
もしかしたらいたずらに話をややこしくしていると思われているかもしれない。だがたとえばこれがアルコール依存症の患者だったらどうだろう。この手の葛藤は彼らが日々直面しているものだ。
昔、ある依存症の患者グループを取材したことがある。その時の患者の話が忘れられない。その人は日々の暮らしをこんなふうに表現した。
「私たちは毎日、湖に張った薄い氷の上を歩いているようなものなんです」
この言葉の裏には、時には冷たい湖に落ちることもあるという現実が含まれている。そんな時、彼らは強烈な自責の念に駆られてしまうという。
「やっぱりあいつは意志が弱い」
周囲の人たちをそんなふうに失望させてしまったに違いない──。そう思うと、後悔と恥ずかしさに押し潰されそうになって、いっそ破滅してしまったほうがましとばかりに自暴自棄に拍車がかかってしまうのだという。
意志の強さですべてが判断されてしまう世の中はなんとも窮屈だ。「意志」とセットで語られがちなのは「責任」や「主体」、「自己」といった言葉だが、世の中には意志が弱い人だっているし、責任を負うのは苦手という人だっている。にもかかわらず、社会では意志の強さや自己の確立を求められることが多い。
『中動態の世界 意志と責任の考古学』國分功一郎(医学書院)は、そうした風潮にでっかい風穴を開ける一冊だ。
読書の醍醐味をひとつだけあげろと言われたら、迷わず「読んだ後に世界がまるで違って見えるようなスゴイ本と出合えること」と答えるが、本書はまさにそういう一冊である。いや、そんな表現ではとても足りない。本書はあなたに、まさに世界観の転換といっていいくらいのインパクトをもたらすだろう。