2017年の最後は、J=Japan(日本)について考えてみたい。
日本について書かれ、ベストセラーとなった『日はまた沈む』(1990年)そして『日はまた昇る』(2006年)の著者、英紙エコノミストの元編集長で国際ジャーナリストのビル・エモット氏が、今年新たな書籍『「西洋」の終わり』を刊行し、話題となった。
この書の中で氏は、民主主義と分権化された社会システムで成功をおさめてきた「西洋」といわれる国々の理念が、外部と内部の両方から壊され始めたと警告している。西洋とは「地理的なものではなく、開放性・民主主義・平等性などの理念で成功してきた国」と定義される。
日本は、戦後急激に発展し西洋の国の一つになった。だが、開放されることで成功してきた西洋が、金融危機と財政破綻によって社会変化し、いまや、開放性が失われつつあるとしている。
世界の人々が持つ未来への不安
米トランプ大統領を発端とするあらゆるショック、英国のEUからの離脱、中国の急激な発展、朝鮮半島の問題……と世界が混迷する中、日本が国連外交と米国との安全保障条約に依存し、頑なに同じ体制でいるという現状はもう考え直さなければいけない時期に来ているのではないかと思う。
技術の進歩と次期パラダイムを考えると、世界の激動はこの先急速に進むだろう。今後、世界的規模で社会変革が起こる、その未来に対する不安を世界中の人々が持ち始めている。このような状況で、これからの日本の立ち位置、そして経済外交はどう考えるべきだろうか。
日本は、戦後約50年もの間、世界の工場として成功を収め、「Japan as No.1」「21世紀は日本の世紀」とはやされた。私が入社した1960年頃のソニーは、売上100億円に満たないベンチャーだったが、私が社長に就任した時には売上が3.6兆円、卒業した時は約8兆円と、半世紀で大きく成長を遂げ、グローバル企業となった。他にもHONDAなど、成功した企業をみると戦後の日本の勢いを象徴している。
では、勢いのあった日本が、1990年以降“失われた20年”となってしまったのは何故か。
当時起きた日本の金融経済危機は、サッカーにたとえれば「オウンゴール(自己失点)」の自責点だと思う。その間、世界に浸透したインターネットは軍事技術を民間に転用したアメリカの勝利であり、同時に中国で起こったITと産業の社会革命による経済の発展、日本だけが完全に取り残されてしまった。これは、日本の法規制の行政改革が全くついていけなかったことにあると私は思っている。
2017年現在、グーグル、アマゾン、フェイスブックという三大オープンプラットフォーマーに加え、アップルという世界的なクローズドプラットフォームに、日本は完全に支配されている。つまり我々日本のデータは米国のこの4社に握られている現状だといえる。さらに、中国の三大ITプラットフォーマーであるバイドゥ、アリババ、 テンセントが今後日本に進出することによって、徐々に中国にも日本のデータが握られる状況にあることに、どれだけ気づいているだろうか。
それでも現状を維持し頑張ってきた日本
先述の『「西洋」の終わり』には、「日本の謎」という章がある。そこには「日本の20世紀から変化していない“古い体質”は謎だ。人口動態、需要の低迷、企業改革の不足だけが要因ではない。社会全体の硬直化だ」とある。1980年代にフレキシブルだった日本の社会が硬直化してしまった理由は何なのか。世界中から私を訪ねてくる人たちは「日本という国は一体どうしたんだ」と聞いてくる。