無理もない。バンダ・クレフトの新著『William Fox, The Man Who Made The Movies: The Meteoric Rise and Tragic Fall of William Fox(映画を作った男、ウィリアム・フォックス:その彗星のごとき立身と悲劇的没落)』に出会うまで、私もフォックス設立者が誰か知らなかった。
本書内のある章には、「夢の暗い側面」という見出しがつけられていた。ウィリアム・フォックスの物語は、どんな夢にも暗い側面があることを示している。成功を重ねるほど、自分個人がその夢よりも大きいという考えにとらわれてしまうのだ。
フォックスはこの精神的なわなにはまった。巨大企業(そして間接的に映画業界)を作り上げた彼は、それを支配しようとした途端に振り落とされたのだ。
始まり
フォックスは19世紀末、ニューヨークのハンガリー移民家庭に生まれた。若いうちから小売業で働いたが、すぐに何か違うことをしたいと考えた。「明確だったのは、誰かのためではなく自分のために働きたいということ」。めいのアンジェラ・フォックス・ダンによると、彼にとって金儲けは自分の欲やエゴを満たすためではなく、「支配力」を得るための手段だった。
フォックスは25歳まで、スロットマシンや不動産、製造業などの事業を次々と手がけ失敗。10年以上を事業設立に費やして貯金は底を尽き、一抹の不安を抱えながらも浮かんだ最後のアイデアは映画だった。彼はいつも、物語には人生を変える力があると信じていた。
映画業界を塗り替えたフォックス
1900年ごろの映画は3分ほどの短編を複数上映するスタイルが主流で、全体で30分ほどで終わり、社会交流を主目的としていた。当時の映画事業は、表面上は収益が見込めるように見えた。「1904年、映画上映に必要な開業資金はたった400~500ドル(約4万5000~5万6000円)と安価で、参入しやすかった」のだという。
それでも集客ははるかに困難だった。「政府の調査によると、1904年、1日当たりの映画鑑賞者数は米国でたったの5万人(総人口の0.06%)ほどだった」
フォックスが営業を開始した後、最初の1週間の観客数は非常に少なかった。彼は最後の手段としてサーカスを雇い、劇場前で芸を披露させて中に誘い込む戦略を取った。これが事業成長の決定打となり、営業1年目は推定利益4万~7万5000ドル(約450万~840万円)の大成功となった。
フォックスの成功はすぐに注目を集め、競争は激化した。フォックスはできる限り多くの追加施設を買収して早急な事業拡大を試みた。マンハッタンでの5セント劇場の営業許可件数は、1906年には200件だったが、1年後には3000~5000件に急増。観客数は1日200万人を超えた。