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2017.10.16 16:30

なぜ中国は制裁中でも北朝鮮とつなぐ橋を架けるのか


例の遊覧ボートの話では、一見制裁に反するような状況を「国家間の表向きの関係とは異なる地域レベルの関係がある」と説明したが、もう少し中国の立場にふみこめば、こんなことがいえるかもしれない。

莫大な投資をしたのに3年間野ざらしの中朝鴨緑江大橋や、開通の日がいつ来るか定かではないのに図們新橋の建設を始めるという今日の状況を、中国は日本人の想像を超えた気長な時間感覚で捉えている。図們新橋の完成予定は一応再来年だから、その頃にはもうコトが収まっているかもしれないし、あるいはそうではないかもしれないが、制裁とは別にインフラ構築はゆるゆるとでいいから進めておこうという感じだろうか。

もっとも、こうした中国の鷹揚な気構えですら、現在の北朝鮮のリーダーにとっては素直に受け取れるものではないのだろう。丹東の中朝鴨緑江大橋から平壌までの幹線道路ですら舗装化が進んでいない北朝鮮にとって、巨大で現代的な国境橋を目の前に見せられることは、むしろ逆効果となるプレッシャーを与えるのかもしれない。

これらの国境橋が開通し、中国から人と物が大挙して流入してくれば、自国の経済はひとたまりもない。周辺国から畏れられる存在として対等に扱われたいこの国の3代目のリーダーが、中国の建設する国境橋をどれほど複雑な思いで見ているかは想像に難くない。

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鴨緑江断橋は爆撃後、長く放置されていたが、1990年代半ばに中国側のみ修復され、北朝鮮の町を間近で望める国境展望スポットになった。


中朝鴨緑江大橋の20kmほど上流に、1909年(明治42年)に架けられ、朝鮮戦争中の1950年(昭和25年)に国連軍の爆撃で橋梁の一部が破壊された鴨緑江断橋がある。今日観光スポットとなっている橋の高欄に、この国境の歴史を解説する30枚のプレートが展示されている。そこには100万人もの人民志願軍を北朝鮮に送り込んだ中国の「援朝抗美(朝鮮を助け、米国に抗戦する)」の歴史が語られている。こうした中国の歴史観も変更を余儀なくされる日が来るかもしれない。

文=中村正人 写真=佐藤憲一

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