日本の自動車メーカーは1970年代後半以降、ほぼ完全に東南アジア市場を支配してきた。同地域では自動車の年間販売台数のうち、92%を日本車が占める。域内最大の市場であるインドネシアでのシェアは、日本国内を上回る95%だ。
日本を除く域外の自動車メーカー、米ゼネラル・モーター(GM)や独フォルクスワーゲン(VW)なども、人口約6億人を擁する同地域への進出を何とか実現し、シェアを拡大しようと試みてきた。だが、いずれも苦い結末に終わっている。
「デトロイト3(GM、フォード、クライスラー)」は、まずは人口6500万人超のタイに足掛かりを築き、そこから域内での事業を拡大しようと計画した。輸入税と非関税障壁が立ちはだかる同地域に米国から輸出するという選択肢は、最初から存在しなかった。
3社のうち、先陣を切って進出したのは、クライスラーだ。1995年にタイで「ジープ・チェロキー」の生産を開始したが、深く根付いた日本メーカーの大量生産体制、広範なサプライヤー・ネットワーク、政府との緊密な関係、幅広く張り巡らせた販売・サービス網には太刀打ちできなかった。さらに、「ジープ」は生産コストの面でも、ホンダ「CR-Vs」やトヨタ「RAV-4s」に歯が立たなかった。
GM、フォードも同様に敗北を喫した。両社の域内シェアは、どちらも5%を超えたことがない。さらに、欧州や韓国メーカーも同様の苦い経験をしている。現代や起亜のシェアはわずか1%だ。
プロトンは「狙い目」
2000年代半ばには、VWがプロトンとの交渉で合意間近とも伝えられた。だが、VWが目指した支配株式の取得に「マレーシアの誇り」であるプロトンは同意せず、交渉は決裂した。GM、フォード、現代、プジョーも同様に交渉を行い、結局は合意に至らず終わった。
東南アジアの自動車市場は基本的に、日本のものだ。タイのバンコクからインドネシアのジャカルタ、フィリピンのマニラ、ベトナムのハノイまで、日本車メーカーのディーラーやサービスセンターはあらゆる場所に設置され、部品は低価格で提供されている。中古車も価値が高い。ブランド名も広く知れ渡っている。状況は日本車メーカーにとって、完璧に近い。