靴紐がほどけていようが、名札が曲がっていようが、ジャケットが擦り切れていようが、乱れた髪が昨夜の情事を物語っていようが、笑顔さえあれば、素晴らしいカスタマーサービスを提供することは可能だ。逆を言えば、笑顔によってお客に歓迎と心づくしの意を表現できない者を、接客のプロとは呼べない。
なぜ、笑顔はそれほどに重要なのか? 接客スタッフとお客は、少なくとも初対面時には互いのことをほとんど知らない。親類、同僚、隣人などの人間関係とは異なり、共通のバックグラウンドを持っていない。そのような状況下で、接客のプロは自らが相手の視野に入ると同時に、言葉を使わずにして「私はあなたの力になりたい」という意思を伝えなければならないのだ。
1978年創業のレストランホテル「The Inn at Little Washington」(以下、リトル・ワシントン)のオーナーシェフで、世界60カ国以上のレストランとホテルの連盟「ルレ・エ・シャトー」北米代表を務めるパトリック・オコンネルは、接客スタッフの採用面接を行う際、応募者が心置きなく笑顔になれるかどうかをはじめに観察するという。オコンネルによると、すぐに笑顔になる人は「本能的に他人をホッとさせる術を持っており、それは接客において何物にも代えがたい能力である」。しかもそのアドバンテージは、訓練で埋められるものではないらしい。
おもてなしの達人に必須の「意思」
バージニア州の辺鄙な場所にある「リトル・ワシントン」は、「フォーブス・トラベルガイド」と「AAAツアーブック」(アメリカ自動車協会発行のガイドブック)にて食事と宿泊の両カテゴリーで五つ星を獲得している世界でも稀有なスポットだ。訪れるのは、極上のご馳走を味わうためならワシントンDCから遠路足を運ぶことを厭わない王族や政財界のトップ、コツコツ貯めたお金で生涯最高の食事を楽しむグルメ愛好家といった層である。もちろん、サービス業務は徹底的に統制されている。
そのような場所で、経験やスキルではなく、どれだけ楽に笑顔を見せられるかが採用の決め手になるというオコネルの話は、信じがたいかもしれない。しかし、おもてなしの達人であるオコンネルは、お客を喜ばせようとする「意志」を示すものとして笑顔を捉えている。接客マナーの数々は適切な訓練を積めば身につけることができるが、意志はそうではないのだ。
(筆者による補足:顔面神経麻痺や歯科疾患などが理由で、笑顔を見せることが難しい人々もいる。本記事は、接客に必要な真心や思いやりを相手に伝える上で、ケネディ一族並みの完璧に歯列矯正された1000ワットの笑顔が必要であるという話ではないことをお断りしたい)