この背景にはOPEC加盟国が開催したオーストリアの首都ウィーンでの会合が、大半の加盟国が不満のまま、価格を圧迫する原油のだぶつきについて何の決定もないまま混沌の中終わったことがある。
4時間の予定の会合が、7時間に及び、サウジアラビアなど低価格原油大国とベネズエラのような苦慮する高コスト国との間の分裂が明らかになった。
公式方針としては何もしない
会合の公式な成果は、市場が吸収能力以上の原油を生産するOPEC加盟国については何もしない決定だ。OPEC全体で日量3,000万バレルの目標は正式な方針として維持された。
現実にOPECは、特に米国やロシアといったOPEC非加盟国における高い生産性を主因とする多数の要因によって石油市場を制御できなくなっており、会合の参加者は全員、そして外部の誰もが生産目標は無意味だと分かっている。
事実、石油市場はまさに「他人のことなどかまっていられない」局面に突入している。この状況はエネルギー消費国にとっては朗報で、かつて世界の石油供給で行使していた権力を失ったOPECにとっては悪い知らせだ。
だぶついたエネルギー
米国での新たな油田開発技術、世界で取引されている天然ガスの増加、太陽光や風力といった再生可能エネルギーとの競争激化などエネルギー市場に広がる変化を考慮すると、OPECのカムバックの可能性は短期的にはなさそうに見える。
ある意味OPECは、議論するだけで行動に移さない委員会としてのみ生き残れるかどうかという現在の疑問をもたらしたイノベーションを作り出した張本人だ。
石油市場を1970年代までさかのぼれば、OPECはイノベーションを促進するのに必要な動機を与えたと言える。これが米国の石油生産者にシェールオイルの採掘方法を開発させ、政府補助金があってもなくても競争力を持つ再生可能エネルギーの高価格をもたらした。
1970年代に書かれた遺書
ある意味、1970年代に石油を政治的武器として利用したOPECの悪名高き行為が、経済的なダメージを与える価格高騰をもたらし、OPECの遺書の最初の文章を書かせた。
石油収入に過度に依存するようになった加盟国によって仕事は完了し、より均衡のとれた経済の開発を怠り、西側の石油消費国によって効果的に資金が調達されている場合は燃料と食品向け補助金を簡単に受け取れるという意識を生み出した。
OPECが本当に死んでいるなら、OPECはスローモーションの自殺記録を更新したとの結論に達する歴史となる。