アートやカルチャーを通じて人や社会にポジティブな変容を促し、グローバル課題の解決を推進するリーダーを表彰する「クリスタル・アワード」の表彰式は、会場内で最も大きなコングレス・ホールで行われた。世界経済フォーラム「ワールド・アート・フォーラム」共同創設者兼会長のヒルデ・シュワブから記念のクリスタルを受け取った山本は、年齢も国籍も異なる多種多彩なリーダーたちを前に話し始めた。
「スイスは私にとって第2の故郷のようなところでした。チューリッヒエアポートのすぐ横にサークル(注:チューリッヒ空港の複合商業施設「The Circle」)を作って、10年間スイスと日本を往復しました。そのスイスでこのような場所をいただくことを、たいへん誇りに思っております」
1973年に建築事務所を設立して以来、地域やコミュニティの触媒としての建築のあり方を提唱してきた。「地域社会圏」という独自の建築哲学に基づいてつくられた住宅は、その斬新さから時に物議を醸しながらも住む人やコミュニティに新たな気づきや変容をもたらした。その功績が認められ、2024年には「建築界のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞している。
山本の、コミュニティに対する思いの原点は自身の生い立ちにある。1945年生まれの山本は中国・北京で第二次世界大戦の終結を迎えた。戦後の混乱のさなか、両親は生まれて間もない山本を連れて北京から天津に渡り、船を待ち、日本に引き揚げてきたという。

「私はまだ0歳でしたから、両親は相当な苦労をしたと思います。母は、あまり当時のことは話したがらなかったです。ただ、彼女はずっと『家族が帰ってくることができたのは中国のコミュニティの人々に助けられたからだ』と言っていました。つまり、私が今ここにいることができるのも、このクリスタル・アワードをいただくことができたのも、私が0歳のときに中国のコミュニティの人たちが助けてくれたからだと思います」
そして、こう続けた。
「今、コミュニティが非常に危機的な状態だと私は思っています。今の戦争は、コミュニティを破壊するためにあるかのようです。戦争を起こすのは、おそらく少数の人だと思います。その人たちからコミュニティの人たちを守る。守らなくてはならない。戦争に加担するのではなくて、どうしたらそのコミュニティの人たちを助けられるか。それが、私たち国際社会の人々が考えなくてはならないことだと思います」