宮大工の棟梁が創業した三五工務店がつくる「村」
札幌市内から国道5号線を北方面へと向かって30分ほど走ると、石狩湾が見えてくる。その海を臨む春香山の麓に、今、ひとつの〝村〟ができつつある。その名を「山郷(さんごう)」という。手掛けるのは、札幌市内の老舗工務店「三五工務店」。同社は宮大工の棟梁だった田中藤雄氏が昭和33年に創業、ちょっと変わった社名の由来は、会社の所在地が「北35条」であったことに由来する。
現在は3代目の裕基氏が代表(2020年に代表取締役社長に就任)を引継ぎ、工務店のイメージに捉われない多彩な10の事業(新築住宅、リフォーム・リノベ、アフターメンテナンス、エクステリア、商業建築・店舗内装、飲食、家具物販、投資型木造建築・不動産、宿泊事業、コンサルティング)をグループ会社と展開している。
その田中代表が今、もっとも力を入れているのが、「山郷」である。これは春香山の山里を開拓し、宿泊施設やレストラン、さらにはショップやアトリエなどを建て、ゲストが北海道の暮らしの理想を体験できる"村"をつくる一大プロジェクトだ。既に2棟のヴィラが開業しており、この日の取材はそのうちの1棟で行われた。
北海道産のスギ材や札幌軟石といった道産の天然素材をふんだんに使ったオーセンティックな造りの一軒家。その中に一歩足を踏み入れると、吹き抜けの大きな窓一面に広がる森の緑が目に飛び込んでくる。
3代目社長が気がついたこと
三五工務店の大きな特徴のひとつは、設計と施行を両方手掛けているという点だ。だから理想のイメージをリアルな工事で実現するには、どうすればいいかという発想で設計がなされている。薪ストーブ、ウッドデッキ、広々としたダイニングキッチン、2階へと繋がる吹き抜けの階段……「三五」が紡いできた哲学とその技は、この家のあらゆる場所に垣間見える。すると、画面の向こうから田中代表が声をかけてきた。「皆さん(取材班)が座っているそのソファの造作もウチでつくったものです。やっぱり家を建てて、最後に家具を入れることで我々の仕事は完成すると思っているので、家具事業も始めたんです」
この日、あいにく出張の予定が入ってしまっていた田中代表は、わざわざ出張先からオンラインで取材に応じてくれていた。
「ここは宿泊施設なんですが、我々の仕事のショールームであり、モデルハウスなんです。普通のモデルハウスは稼ぎませんが、ウチのモデルハウスは年間数千万円稼ぎます。実際にここに泊まりに来てくれた海外のクライアントの方からお仕事が来るケースもあります」
「もともと家業を継ぐつもりはなかった」という裕基氏は、大学進学を機に上京し、卒業後はフードコンサルティング会社に就職。その仕事には手ごたえを感じていたが、27歳のとき、当時、三五工務店の二代目社長を務めていた父の誘いを受けて、10年ぶりに北海道に戻り、畑違いの世界に飛び込んだ。
多くの飲食店を立て直してきた裕基氏の目に、建築業はどう映ったのだろうか。
「日本経済全体が効率最優先で成長してきたわけですよね。だから建築の世界であれば単一の部材を大量生産し、それを機械的に組み合わせて、とにかく早く家を作ることで徹底したコストカットをはかる。けれどウチみたいな小さな会社が同じことをやっても、価格競争では到底大手に敵わない。だから僕らは手間暇かかって、大手が面倒くさがってやらないような仕事を”付加価値”に変えて、僕らにしかできないことをやろうというのが、基本戦略になりました」
「くらし」を建てる
例えば、道産材の活用である。「飲食の世界では、地産地消が当たり前です。北海道でお店をやっていたら、アスパラとかトウモコロシとか質のいい道産食材を使わない手はない。じゃあ北海道で家を作るときに、道産材を使うかといえば、誰も使ってなかったんですね。わざわざ海外から安い木材を買って、輸送費をかけて輸入してたんです。その方が道産材を使うよりも安いから。けれど北海道で生まれた木なんだから、この土地の環境に一番適しているはずなんですよ」
道産材を使うことは、北海道の森を守ることにも繋がる。
「木というのは40~50年で伐採する時期を迎えます。伐採しないと木は成長しませんし、人の手が入ることで森は育つんです。僕は森も海も川も、自然環境は次の世代に残していかなきゃいけないインフラだと思っています」
三五工務店が建てる家の木材は、使い込まれていくことが味になり、年を経ることで新たな魅力を増していく。ここまで話を聞いて三五工務店の「強み」はいくつも思い浮かぶが、田中代表に言わせると、たった一言に集約される。
「情熱じゃないですかね。暮らしづくりを通して幸せを創りだす、というのが僕らの企業理念です。ものづくりの会社ではあるんだけど、ものを作るだけではなく、〝その先〟のことを作りたいという思いでやっています」