行政に覚悟をもってもらう
マネジメント会社を立ち上げて代表を務めるなど、20代後半から「経営者」としての顔ももつ西川。39歳でスタートした「イナズマロック フェス」成功の裏には、西川のアーティストとしての実績と経営者としての才覚がある。西川は「イナズマロック フェス」立ち上げにあたり、最初から自治体を巻き込み、連携していくことを重視した。それが、同イベントを滋賀県あげての一大行事へと成長させた要因のひとつでもある。
理由として、西川は「行政側に覚悟をもってもらうこと」の重要性をあげる。音楽フェスの開催によって、行政は経済効果や地域活性化の恩恵を享受する代わりに、騒音問題や交通渋滞など、住民への説明責任を問われるリスクを負う。しかし上手く対応できない場合、地域住民との不和が発生し、反対運動などによってイベント自体が中止になるリスクもある。
しかも、行政は縦割りの組織や毎年の人事異動などにより、複数の課をまたぐ大規模イベントへの対応には、どうしても時間を要する。それを、「イナズマロック フェス」開始前年に就任した初代滋賀ふるさと観光大使の活動などを通して把握していた西川は、同イベントの企画段階から県の担当者に関わってもらうことを決めた。
西川は住民説明会にも県の担当者に参加してもらい、「自分たちだけで楽しんで終わりではなく、滋賀を盛り上げるために皆で一緒にやるから意味がある」そう粘り強く訴えかけ、協力を得ていった。
さらにイベントの運営体制については、地元メディアや関西近県のイベンター、テレビ局などを巻き込んだ委員会方式を早くから採用。西川の会社が幹事社としてイベントの主な責任を負いつつも、各社が出資してリスクを分散し、運営の効率性と継続性を高めてきた。
「未だに『イナズマは県が開催母体で、県から予算をもらっているんでしょ』と言われますが、違います。県から資金援助は受けていません。地方自治体が限られた財源を使ってフェスを開催すること自体、避けるべきです」
唯一無二のエコシステム
西川は、地方創生のために日本各地で音楽フェスが乱立する現状に警鐘を鳴らす。人気アーティストの奪い合いが激化し、出演交渉が難航するケースもあり、持続可能とは言えないからだ。
「イナズマ ロック フェス」では、アーティストのキャスティングに頼らないイベント作りを目指した。音楽フェスという枠にとらわれず、地元グルメ、観光PRなど多様なコンテンツを組み合わせることで、イベントの魅力を多角化。2024年の同イベントには約80の企業や団体が出展。主役のヘッドライナーを西川自身が務めることでも、キャスティングの難易度を下げた。
また、西川自身の立場も功を奏したという。
「僕が大手芸能事務所の所属だったら、最初は赤字続きだったイナズマをここまで続けられませんでした。個人事務所の経営者だから比較的自由に投資できたし、マッチングのハレーションが起きず、どこの事務所のアーティストにも出演してもらえます」
結果、同イベントのステージにはビジュアル系からK-POPアイドル、お笑い芸人まで幅広いジャンルのアーティストが登場。ジャンルレスなイベントへと進化を遂げたのだ。
西川は「いろんな条件が奇跡的に重なり、惑星直列のような状況を経て今があります」と回想するが、その背景には綿密かつ泥臭い戦略と準備があった。そして今、西川を中心に行政、企業、メディア、アーティスト、住民など、滋賀県内外の多様なステイクホルダーによって構成される唯一無二のイナズマブランドのエコシステムが広がっている。