「あなたなら好きな大学に行けるよ。どこに行きたい? 何をしたい?」
驚いた様子でプリヤは答えた。
「私は大学には行かない。私には、そんな選択肢はないの」
メイドとして働くプリヤの母の収入は1日1ドルから2ドルで、彼女の家族は極度の貧困状態にあった。学ぶことは大好きだが、高校を卒業したらすぐに結婚するか、母と同じようにメイドとして働くほかないのだと彼女は言った。
「能力があるからといって、誰もが可能性を最大限に追求できるわけではない。世界にはいったい何人のプリヤがいるのだろうと思いました」
数年後、サイマはスタンフォード大学に進学した。学業に打ち込みながらカリフォルニア州知事選挙のキャンペーンに携わったり、ヘッジファンドで働いたりとさまざまな経験を積んだ。
「でも、私にとってプリヤの問題以上に重要なことはありませんでした」
ヘッジファンドのアナリストも、選挙活動に携わる人も世の中には大勢いる。自分は大海の一滴にすぎない。でも、プリヤが置かれている状況を何とかしようと本気で取り組んでいる人はいるだろうか。それこそが、自分がやるべきことなのではないか──。プリヤのような若い女性たちが直面している障壁を取り除きたい。その一心で、サイマはスタンフォード大の教授と連携しながら多くの研究を手がけた。そのなかで考案したのが、社会的・経済的に恵まれない地域に住む聡明な少女や若い女性たちが自ら収入を得て、その可能性を発揮できるようにするための教育訓練プログラムだった。大学4年次に、「光が広がる」という意味をもつ非営利団体ロシュニを設立し、インドの貧困家庭で暮らす30人の生徒に試験的なプログラムを実施した。
大学を卒業後はシリコンバレーにあるヘッジファンドで働き始めた。だが、そこで感じたのは、女性支援の道に呼ばれているという感覚だった。「私の使命は、地政学的、経済的に二極化が進む世界で、プリヤのような環境にいる何百人の女性たちの可能性を広げ、社会的・経済的インパクトを与えることだと感じました」。
数カ月後、サイマは誰もがうらやむエリート職を手放し、ロシュニを本格展開するためにインドに渡った。そして5年にわたって、インド諸州の貧困地域に住む少女たちにコンピュータやデータ処理などのハードスキルと、語学力やクリティカル・シンキング、プレゼンテーション能力などのソフトスキルを磨く機会を提供し続けた。