テクノロジー

2015.08.08 07:30

米中激突! “日本不在”で進む世界の「ドローン」開発競争

フランク・ワン・タオ(写真上)は、消費者向けドローンを販売する世界最大の企業「DJI」を率いている。<br />その企業価値は100億ドル。世界シェア70%を誇っている。(フォーブスジャパン8月号より)

フランク・ワン・タオ(写真上)は、消費者向けドローンを販売する世界最大の企業「DJI」を率いている。<br />その企業価値は100億ドル。世界シェア70%を誇っている。(フォーブスジャパン8月号より)



総理官邸への落下事件に、飛行を示唆した少年の逮捕……。
昨今、日本を賑わすドローン(無人飛行機)の話題はネガティブなものが多い。しかし、世界では新しい産業を巡って激戦が繰り広げられている。

しかも、それは農業や建設業、ひいては社会をも変えるかもしれない。
日本は潮流に乗り遅れるのか―。ドローン開発競争の裏側にご案内しよう。


フランク・ワン・タオ(34)は、これまで一度も逮捕されたことがない。税金は納期までにきちんと納めているし、酒だって滅多に飲まない。なのに、世界初のドローン長者になった彼は今年の1月、本誌とのインタビューの前夜、アメリカの捜査当局に目をつけられてしまった。

その日、ワンが拠点にする中国の深圳から1万3,000㎞離れたアメリカの首都ワシントンDCで、同国の政府職員が、酒に酔って友人のドローンを未明の空に飛ばした。経験不足の彼は暗闇の中で機体を見失い、すぐに探すのを諦めてしまった。

そして4つのプロペラを持つその無人機は、夜明け前には世界的なニュースとなっていた。あろうことか、ホワイトハウスの敷地内に落下していたからだ。

ワンは、そのドローンの開発者だ。彼の会社のドローンを使って、3月にはロンドン郊外の刑務所の中庭にドラッグや携帯電話、武器が持ち込まれ、4月には日本の首相官邸の屋上に放射性廃棄物入りの容器が運ばれた。

自社の製造物が法律や社会規範に背くことに使われるのは、大方のCEOにとっては悪夢だ。だがこの世界的なドローン革命の知られざる黒幕は、さほど意に介していないようだ。

「たいしたことじゃないよ」
ドローン開発企業「大疆創新科技(DJI)」の創業者は、そう言って肩をすくめた。

コンサルティング会社フロスト&サリバンの調べによると、DJIは消費者向けドローン市場の70%を握っている。取材をした日の午前中、同社はすべてのドローンのソフトウェアをアップデートし、ワシントン中心部の半径25㎞以内を飛行できないようにした。

「これでも、まだましな方さ」
成功の過程でもめごとに慣れっこになったワンだからこそ、そう言えるのかもしれない。

2014年には、主力のファントムを中心に約40万台のドローンを販売、5億ドル(約610億円)を売り上げたが、今年はそれが10億ドルを超す勢いだ。同社に近い筋によれば、純益は約1億2,000万ドルになる見通しだという。

09年から14年にかけて、DJIの売り上げは毎年3~4倍になっており、投資家たちはワンが今後何年もその支配的地位を守ると見ている。

この4月、米ベンチャー投資会社アクセル・パートナーズは、DJIの企業価値を100億ドルと算定し、7,500万ドルを出資した。自社株式の約45%を保有するワンは、今や45億ドルを超える資産家になったのだ。

フロスト&サリバンのアナリスト、マイケル・ブレイズは「DJIは、ホビー用の無人飛行機(UAV)市場を開拓した。今や誰もが同社に追いつこうとしている」と語る。アマゾンのジェフ・ベゾスCEOがUAVを商品の配達に使う意向を表明したとき、ドローン懐疑派は笑ったかもしれない。

しかし、ドローンは存在感を増しつつある。ホビー用だけでなく、広範な商業利用がすでに始まっているからだ。

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MITとスタンフォードに落ちて

フランク・ワンが空に心を奪われたのは、小学校時代に赤いヘリコプターの冒険を描いた漫画をむさぼり読んでからだ。

ワンは中国沿岸部の都市、杭州で育った。教師を辞めて中小企業のオーナー兼エンジニアに転じた父親を持つ彼は、模型飛行機の本ばかり読んで過ごした。

夢は自分の“妖精”を持つこと―。それは空を飛んで自分についてくるカメラ付きの装置なのだ。そして16歳のとき、ワンはある試験でいい点を取ったご褒美に、ラジコンヘリを手に入れた。

だが、アメリカの一流大学に留学するというワンの夢はかなわなかった。第一志望だったマサチューセッツ工科大(MIT)とスタンフォード大学には入学できず、香港科技大学で電子工学を学ぶことになった。

目的意識を持てないまま学生生活を送っていたワンだが、4年次になるとヘリコプターの飛行制御システムを制作し、この共同卒業プロジェクトにすべてを捧げた。授業にも出ず、朝まで寝ずに取り組んでつくった機上搭載コンピュータ用のホバリング機能は、クラスでの発表前夜に不具合を起こしてしまった。

だが、その努力は無駄にはならなかった。ロボット工学のリー・ズァーシァン教授がワンのリーダーシップと技術的な理解度の高さを認め、大学院のプログラムに招き入れてくれたのだ。

「彼はほかの学生より賢いわけではありませんでした。でも、成績のよい者がよい仕事をするとは限りません」と、リー教授は当時のワンについて振り返る。

彼はDJI発足当初から出資し、今では同社の会長として株式の10%を保有している。
ワンは学生寮の部屋で飛行制御システムの試作品を制作していたが、06年に2人の級友とともに拠点を深圳に移す。そして寝室が3つあるアパートを仕事場とし、残りの奨学金を元手にDJIを立ち上げた。

開発した飛行制御システムは、6,000ドルで中国の大学や電力会社に販売した。売り上げでスタッフに給料を支払い、彼と同窓生たちは奨学金の残りで食いつないだ。

「市場がどれほど広がるのかなどわからなかったよ。当時の僕らが考えていたのはただ、製品をつくり、10~20人のスタッフを食べさせ、チームをつくることだけだったから」と、ワンは当時を回想する。

やがて、社内では衝突が起こるようになった。不満が絶えず、「要求が厳しいくせにケチくさい株の配分をするボス」に踏みつけにされていると感じる者もいて、3年目には創業メンバーのほぼ全員が辞めていた。ワンの性格とビジョンのなさが原因だ。ワンも自分が“うるさ型の完璧主義者”になり、部下を苛立たせることがあると認めている。

それでもDJIは毎月20台もの飛行制御システムを売り続けた。資金面は、ワンとは家族ぐるみで付き合いのある友人のルー・ディーが支えた。

06年下半期、彼はおよそ9万ドルを出資している。とはいえ同社が金を必要としたのは、後にも先にもそのときだけ。ワンが親しみを込めて“しみったれ”と呼ぶルーは、今も16%を保有する大株主の1人だ。


コリン・グイン(写真上)は、アメリカのテキサス州出身。2011年にDJIノースアメリカを設立し、ワンと袂をわかつ13年まで、北米と英語圏での販路開拓に奔走した。 現在は、DJIの最大のライバル、3Dロボティクスの最高販売責任者(CRO)となって、ワンの前に立ちはだかっている。(フォーブスジャパン8月号より)
コリン・グイン(写真上)は、アメリカのテキサス州出身。2011年にDJIノースアメリカを設立し、ワンと袂をわかつ13年まで、北米と英語圏での販路開拓に奔走した。現在は、DJIの最大のライバル、3Dロボティクスの最高販売責任者(CRO)となって、ワンの前に立ちはだかっている。(フォーブスジャパン8月号より)

メイド・イン・チャイナへのこだわり

親しい人間で体制を固め、ワンは引き続き製品をつくり、今度は海外のUAV愛好家への販売を始めた。買い手はドイツやニュージーランドから電子メールで注文を入れてきた。

折しもアメリカでは、米誌「ワイアード」の編集長だったクリス・アンダーソン(上のコラム参照)が、UAVファン向けの掲示板「DIYドローンズ」を開設していた。そこに集うユーザーたちは、単ローター式から4つのプロペラを持つクアッドコプターへの移行を支持していた。後者の方が安価でプログラムも容易だったからだ。

一方、DJIはオートパイロット機能を持つ、より進んだ飛行制御システムをつくり始めた。ワンはそれを、11年に人口7万人のインディアナ州マンシーで開かれたラジコンヘリの大会などの見本市で売った。

そこでワンは初めてコリン・グインと顔を合わせた。空中撮影を手がけるスタートアップを経営していたグインは、UAVから安定した動画を撮る方法を模索し、何か解決策はないかと以前からワンに問い合わせていた。

ワンはまさにグインが求めるものの開発に取り組んでいたのだ。それは飛行中のドローンが揺れてもカメラのフレームがぶれないよう、機体に搭載した加速時計を利用して軸を調整する新しいジンバル(カメラを安定させる装置)だった。試行錯誤の末、満足のいくものが完成し、06年には2,000ドルかかっていた飛行制御システムの製造コストは、11年までに400ドルを切っていた。

11年8月にDJI幹部との初対面を済ませると、グインは深圳に飛んだ。そしてワンと一緒に、テキサス州オースティンに「DJIノースアメリカ」を設立した。ドローンを大衆市場向けに販売することを目的とする子会社だ。グインはその所有権の48%を与えられ、残る52%はDJIが保有した。

グインは北米と英語圏向けの販売を担当し、「フューチャー・オブ・ポッシブル(可能性の未来)」というキャッチフレーズを考案した。

当初、関係は良好だった。ワンはグインを「ときどき刺激的なアイデアを出す優れたセールスマン」として記憶しているという。

DJIは12年後半までにソフトウェアやプロペラ、機体、ジンバル、リモコンをすべてパッケージにしたドローンをつくるようになっていた。13年1月に発表したファントムは、同社では初めての組み立て済みのクアッドコプターで、箱から出して1時間以内に飛ばせるうえに、一度墜落したぐらいでバラバラになることはない。その簡便さと使いやすさが、ドローンの市場を熱狂的なファン以外の層にも広げていくことになった。

しかし、そのころにはワンとグインの関係が悪化し始めていた。ワンは、グインがファントムの開発を自分の手柄のように語ることや、「DJIイノベーションズのCEO」を名乗ることを快く思わなかったのだ。
グインが、しばしば拙速に他社との提携協定を結ぼうとしたと話す関係者もいる。

なかでも、アクションカメラメーカーの「GoPro(ゴープロ)」との提携などは、もし成立していれば、DJIのドローン用カメラがすべてゴープロになっていたかもしれないくらいの大型案件だった。だが、ワンはその取引に及び腰でグインの助言に耳を貸さず、結果的に相手を怒らせた。ゴープロは今、独自のドローンを開発している。

当初DJIは、1台679ドルのファントムでは収支とんとんで利益は出ないと考えていた。ところがファントムはたちまち同社でいちばんの売れ筋となり、おかげで売り上げは5倍になった。

だがワンにとってより重要なのは、それが世界中で売れているということだ。DJIの売り上げはアメリカ3割、欧州3割、アジア3割、残りが南米とアフリカという構成。
ワンにとってはそれが誇りなのだ。

「中国人は、海外からの輸入品は優れていて、中国製は劣っていると考えがちなんだよ。自分たちは『二流』だってね。僕はそんな環境に満足していない。何とかしてそれを変えたいんだ」

13年5月までに、DJIはグインが保有するDJIノースアメリカの持ち分を取得しようとし、代わりに0.3%にしかならない本社の株式を提示した。グインは不服を唱えたが、同社は交渉の余地を与えなかった。同年12月までにDJIノースアメリカへの顧客からの支払いはすべて中国本社に送られるようになり、大晦日までに全従業員が解雇された。DJIのその年の売り上げは1億3,000万ドルに達した。

翌14年上半期、グインはDJIを訴えたが、8月に法廷外で和解した。和解金の額は明らかになっていないが、関係者によると1,000万ドルを下回る金額だったという。前述の株式交換で動いたはずの金額よりいくらか高かっただけのようだ。

そうした事情もあり、グインは元同僚たちとライバル会社「3Dロボティクス」に入社した。


「追い上げ」に本腰を入れるライバル

消費者向けドローン市場を牛耳るワンにとっての最大の脅威は、シリコンバレーの対岸のバークレーに建つビルの中庭で生まれている。3Dロボティクスのエンジニアたちはここで、ドローン「ソロ」の最終テストを何十時間もかけて行っている。

「DJIがアップルだとすれば、3Dロボティクスはグーグルだよ」と、ワイアード誌の編集長を辞め、同社を共同創業したクリス・アンダーソンCEOは言う。

自社のクアッドコプターが誇る優美さとシンプルさを称えつつ、アンダーソンは「カギを握るのはハードウェアではなく、ソフトウェアだ」と説明する。

3Dロボティクスは、OS(基本ソフト)をオープンソースにしている。プログラマーや何十という中国の模倣品メーカーの関心を惹きつけるためだという。これはOSを非公開にしているDJIとは対照的である。

DJIはワンの持つ日本刀の完璧さにはほど遠い。彼はファントムが完璧な製品ではないことを認めている。「改善の余地がある」と語り、従業員を200人以上増やすと宣言した。

この2年の間に中国で続々と誕生したドローン・メーカーのなかには、DJIの設計を不正に入手した会社もあり、社内にスパイがいたケースも少なくとも2例あった。うち1例では、辞めていく社員が設計図を盗み、競合他社に売っていた。

これではワンが「共食い社会」と呼ぶ深圳の現状は改善しない。このままでは、まちがいなくドローンもスマートフォンやノート型パソコンのようにコモディティ化し、価格は確実に下がっていくだろう。そして、米調査会社ガートナーのジェラルド・バン・ホーイが言うように、「マイナーなブランドは市場から駆逐される」だろう。

しかし、DJIに関しては楽観的だ。「彼らはやっていけるでしょう。すでに市場で評価を確立して、認知されていますからね」

ワンは、ライバルと空を分かち合うことを望んではいない。ドローンの用途が農業や建設などに広がっても、リードを死守するつもりでいる。

「今のところ、僕らの成長を阻む障害になっているのは、技術的な難題を解決するスピードだ。現状に満足してはいけないんだよ」


ライアン・マック、ヘン・シャオ、フランク・バイ = 文 デビッド・ハートゥング = 写真 町田敦夫 = 翻訳

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