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大航海時代に名を馳せた東インド会社。今日におけるガバナンスが整備されたのも当社からだった。
(Andrey Armyagov / Bigstock)



時折顔をのぞかせる強烈な太陽に、ふと何年か前のエーゲ海を思い出した。ミコノス島を出航して数時間、インディゴブルーの海上を滑空するトビウオの群れを数頭のイルカが追っていた。船上のデッキチェアでは弁護士のメリッサが寛くつろいでいた。彼女の曾祖父はギリシャから米国に移住したのだそうだ。メリッサは皮肉っぽく言った。「アリストテレスはポリスの人口は2,000人が限度だと主張した。なぜなら雄弁家の声もそれ以上の人数には届かないから。コーポレートガバナンスもそうよね」
 
よく冷えたスプモーニを片手にウィンクする彼女は、分厚い年代物の本を読みかけていた。英国東インド会社史だ。
 
英国の旧東インド会社は17世紀初頭に設立された後、新東インド会社を合併して18世紀前半に再スタートした。今日でいうガバナンスが整備されたのも、この合同東インド会社からである。株主権の範囲や株主総会の運営、取締役の権限、社内規則の制定等々について侃々諤々の議論が交わされたという。
 
現実の業務は24人の取締役が担っていたものの、「人民評議会」とまで別称された株主総会が大きな力を持っていた。株主になるために国籍、宗教、男女の差はなく、外国人株主比率が3割に及んだといわれる。定時総会は年に4回、9人の株主が要請すれば臨時総会も開催された。
 
業務執行の最高機関である取締役会と意思決定の最高機関である株主総会はしばしば対立したという。通常でも200人程度、大きな議案があると数百人が出席した株主総会は取締役との激しい応酬合戦になったようだ。古代ギリシャのアゴラの集会を彷彿とさせる、直接民主主義的なガバナンスだったのだろうか。
 
もっとも、取締役になるためには相当数の株式を保有していなければならなかったし、かなり不透明な事前運動も行われたらしい。昨今の企業統治の基準では失格だ。
 
しかし、こうしたガバナンスの下で同社の自己資本利益率(ROE)は20%前後に達していた。現在の日本企業のROEは8%弱、米国企業でも15%である。もちろん、重商主義花盛りの中、欧州強国間の熾烈で暴力的な競争が展開された時代である。21世紀の企業社会と単純に比較するわけにはいかないが、東インド会社の成功が株式市場の発展にも大いに寄与したことは間違いない。
 
その後、資本主義社会は南海泡沫会社などのバブル経済や少なからぬ不祥事に苦しめられてきた。だからこそ、東インド会社が打ち立てた元祖ガバナンス原則は十分に示唆的である。とりわけ、取締役の存在意義を反面教師的に検討する材料を提供してくれる。
 
東インド会社の取締役は、私的交易業など自らを利する自己取引を堂々と行っていた。利益相反の極みだ。社内に「会計委員会」が設置されて経理事務の監督を実施していたというが、これでは今日的意味でのガバナンスは期待できない。市場経済の世界は、大恐慌時の市場混乱、戦後の企業不祥事やエンロン事件等々の紆余曲折を経て、種々のガバナンス強化策を生み出してきた。世上、大いに注目されている社外取締役が典型例である。

「真にステークホルダーのために行動し、企業価値を向上させる社外取締役」という理念は素晴らしい。だが、この理念を具現化するためには彼らの立場を守る仕組みも必要だ。

「オストラキスモスってご存じ?」。唐突にサングラスを外したメリッサが尋ねた。

「大昔、ギリシャのポリスでは、僭主(せんしゅ)になりそうな人の名前を市民が陶片に書いて投票したの。6,000票以上を集めた人物は10年間追放されたのよ」「さすがに民主制の故郷だね」。私の返答にしばしメリッサは沈黙した。

そして一言。「でも結局、政争の具になって衆愚政治を招いたらしいわ」。その刹那、地中海に乗り入れた船が大きく揺れた。

文 = 川村雄介

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