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2024.05.28 14:15

発売後は「毎日増刷」累計250万部。担当編集が語る 「『変な家』はなぜ怖いのか」

シリーズ累計発行部数250万部の『変な家』はなぜ怖い?

『変な家』はなぜ怖いか


考えてみてほしい。街を歩いているとちょくちょく見かける不動産屋、通りに向いたガラス窓にベタベタと貼られた間取り図──、あの1枚1枚それぞれの部屋に過去の住人がいて、悲劇や怨念がひそんでいるかもしれない……。こう考えると、街を歩くことにも恐怖がつきまとうではないか。
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文芸編集者ではなく、どちらかといえばノンフィクション編集者であるという杉山氏もこう話す。

「雨穴さんの原稿を読んでいるといつも、元ネタがあるんじゃないか、モチーフが実在してるんじゃないか、と思ってぞっとしてしまうんですよね」

雨穴作品には妙に生々しい現実感があり、そこにこそ恐怖がある、と杉山氏は言う。
 

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物語は「読者の脳内で再生」される


雨穴氏は「1人も読者を置いていきたくない」のだという。

「それもあって『変な家』には、文学的な表現が一切ないんですよ」と話す杉山氏。

ふだん本を読まない読者や子どもにも読んでもらえたのは、雨穴氏が原稿から文学的表現をできるかぎり排したこともある、と氏は分析する。あまり文学的な表現は、「もともとの本好き」「小説好き」といったように対象読者を限定しかねないからだ。

「一般的な小説であれば、情景描写を文学的な表現で説明するのが作家の腕の見せ所ですが、雨穴さんはそれを間取り図というアイテムに込めている。だから簡潔な文章でも、読者自身の脳内に情景が広がるんです。

また、『変な家』をYouTubeから活字というメディアに移したことで、雨穴さんの『声』のかわいらしさは失われました。声はとても素敵な情報でしたが、YouTubeを見ていた読者はしかし、活字を読みながら雨穴さんのあの声で脳内再生するでしょう。この本は、だから、読者の脳内で再生されやすく書かれ、設計された本といえると思います」

編集者と著者は「処女作刊行まで一度も会わなかった」


前述のとおり、『変な家(1)』が刊行されるまで、杉山氏は一度も著者雨穴氏と会っていない。
 
 書籍『変な家』より

書籍『変な家』より


書籍『変な家(1)』が出てからわずか1カ月で、映像オファーが実に30社近くあったという。結局は東宝と契約、2023年3月に映画「変な家」がクランクインした際、杉山氏は雨穴氏に「撮影の現場を見に来ませんか」とダメ元で声をかけた。すると氏はついに、リアルで姿を現したのだ。物静かで、やさしい青年。それまで読んできた原稿、電話やメールでやりとりしてきた印象通りの人物だった。

実は雨穴氏はもともと、2005年10月にローンチした「ゆるく笑えるコンテンツに特化した」Webメディア、「オモコロ」のライターである。雨穴氏は2018年5月からオモコロに記事を寄稿している。

ここに投稿されている雨穴氏の作品を、取材者もいくつか読んでみた。Vスクロールの設計で延々と物語が続くが、いずれも写真や図が潤沢に挿入されているので、スクロールダウンするマウスの指が止まらず、あっという間に読了してしまう。

杉山氏も言う。

「雨穴さんは、『オモコロ』のやり方をそのまま書籍『変な家』の原稿に持ち込んできたんです。

従来の小説の常識だと、こんなにたくさんは図を入れませんよね。しかも、数ページ前ですでに見せた間取り図を、文脈に応じて何度も挿入し直すなんてことは、本作りの文法上、ありえなかった。この点でも僕は、著者である雨穴さんに、まったく新しい本作りの方法を教えられたような気がします」

ミステリー小説でよく強いられるあの「作業」、すなわち「この話、あの図を見ながらじゃないとわからない、どこだっけ」と数ページ(数十ページ)前をめくり直す労を省かせることで、読者に負荷をかけない究極のサービス設計。これは、雨穴氏がWebメディア『オモコロ』で実践、実験済みの手法なのである。

 
書籍『変な家2 11の間取り図』より

書籍『変な家2 11の間取り図』より

自分は「ただの商人」


「雨穴さんとの仕事に関しては、僕は『ただの商人』なんです」と杉山氏はいう。

「雨穴さんは若く、感性がまったく新しい人。彼がこれでいいと思ったら僕もそれでよしとしたいんです。いかに彼のやりたいようにさせてあげられるか。その環境作りと、読者との橋渡しだけが僕の仕事だと思っています。

最初にもお話ししましたが、動画を見たときにすでに、これはただものではないと感じた。シナリオから撮影・編集まで、全部1人でやっているのがわかる。

なぜ『変な家』が怖いのか、その理由となり得る条件についてはすでにお話ししましたが、著者の才能が底無し沼で、予測できない。こういう『未知』に対する感慨も、ある種の恐怖といえるかもしれません」

原稿が初めて送られてきたときも、言葉の選び方のセンスや無駄のなさに驚いたし、発想も新しい、バランス感覚も傑出していた、という。

「250万部というこの状況を生ぜしめたのはけっして僕ではない、そのことはつねに感じています。逆に、こんな才能を預かっている、こんな怖い才能の人と世間との間に自分が入っている、自分でいいんだろうか、という恐怖がずっとあるんです」



杉山氏は最後に、こんなエピソードを打ち明けてくれた。

『変な家2』の作業中のある日曜日、小2になる息子から、「パパ、サッカーやろう」と言われたという。クタクタに疲れていたが、休日だし──と公園に行ってサッカーボールを軽く一蹴りしただけで人生初の「肉ばなれ」を起こし、1カ月間歩けなくなった。

「『稀代の才能をお預かりしている』ことの圧が、体にも負担になっていたんでしょうね。

知人たちからは、大ヒットを飛ばして会社でも立場がよくなっただろう、自由にやれるようになったんじゃ、みたいなことを言われることがありますが、むしろ逆。期待に応えなければというプレッシャーといつも闘っています。やっている仕事はお話ししたとおり、編集者というよりもはや商人でしかないのですが」

雨穴氏の「不気味な外見」と対局にあるのは「かわいい声」と、「オモコロ」のムードにも通じる不思議な「ゆるさ」だ。それが、彼のYouTubeがチャンネル登録者数 156万人(5月13日現在)という人気を博した理由のひとつでもある。

そして、『変な家』シリーズで容赦なく抉り出される人間の残酷さやおどろおどろしき業の裏にも同時に、時としてページの隙間からするりとしのびこむ、人のささやかなやさしさがある。

雨穴作品には、苦味以外のいわば「旨味」がある。つまりは後味が悪くない。それは、恐怖やグロテスクの隙間にかならず、人の「かわいらしさ」がひっそりと埋め込まれているからではないか。恐怖におののく読者を、それらが救いとなって密かに慰労してくれるからではないか。──そう思えてならないのである。

 変な家(文庫:雨穴著、2024年1月、飛鳥新社刊)

変な家(文庫:雨穴著、2024年1月、飛鳥新社刊)



変な家』(単行本:雨穴著、2021年7月、飛鳥新社刊)

変な家 2 〜11の間取り図〜』(単行本:雨穴著、2022年12月、飛鳥新社刊)

取材・文=石井節子 写真=藤井さおり(書籍関連以外)

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