経済・社会

2024.05.18 09:15

親中と言われるパプアとソロモン 中国が日本から盗めなかったもの

中国のメラネシア進出は、日米豪にとっての頭痛のタネだったが、今回のソロモン諸島の選挙結果をみても、順調というわけでもなさそうだ。2021年11月にはソロモン諸島の首都ホニアラで起きたソガバレ政権の退陣を求める反政府デモが暴動に発展し、中華街が焼き討ちに遭った。中国からの移民が相次ぎ、現地で反発が広がっていた末の事件だった。

田中氏はソロモン諸島やパプアニューギニアに住む知人たちから聞いた話として「現地の人々は当初、中国の進出を歓迎していました」と語る。メラネシア地域の人々は、同地域の盟主を自負する豪州の人々に少なからぬ反感を抱いていた。豪州は、第2次大戦の際の豪州軍兵士の遺骨収集もパプア政府に断りなくやっていた。同氏も過去、豪州から派遣された行政担当者がメラネシアの人々を召使のように扱っている姿を目撃したことがあるという。ただ、中国からの移民が相次ぎ、土地や建物の買い占めが続いた。田中氏は「中国の人々の買い占め方は、豪州の比ではないほど、すさまじいようです」と語る。こうした状況が4月の総選挙での、親中派の伸び悩みを招く一因になったようだ。

一方、太平洋地域では、戦後の中国やフィリピンなどで見られたような厳しい反日感情は生まれていない。田中氏は03年、ラバウルを訪れた。当時、火山灰の影響で既存の空港が使えなくなり、日本の支援で郊外に新しい飛行場が開設されたばかりだった。住民は、新飛行場の建設に日本が関係したことから、「日本との間で直行便が飛ぶのではないか」と口々に期待感を示したという。

今年、日本との国交正常化30周年を迎えたミクロネシア地域のパラオも親日感情が広く残っている。23年3月にインタビューしたセンゲバウ・シニョール副大統領は「父は日本語がとても上手でした。(日本統治下で)教育や農業も発展しました。戦後、長期の旅行に耐えられず、パラオにとどまった日本人の赤ちゃんもいました。彼らは日系パラオ人になりました。非常に強いつながりです。だから私はいつもそれをトクベツと呼んでいます」と語っていた。グスタフ・アイタロー外相も当時、「私の名前は、祖父が日本語からつけたものです。日本とパラオの深いつながりを示すものです」と説明した。

田中氏は、太平洋島嶼国に残る親日感情について「中国大陸で住民の強い反発に遭った日本軍は、南太平洋で、現地の人々の宣伝や教化に力を入れるようになりました」と指摘する。各部隊に、現地住民の支持をとりつける宣撫工作の担当を置き、最初は子供を対象に紙芝居を見せたり、飴を配ったりして警戒心を解いたという。子供が心を開き始めると、大人をターゲットにした。現地に小さな学校を開いたり、農業指導をしたりすることで、支持をつかんだという。田中氏によれば、こうした宣撫工作は、米国の影響が強く、ゲリラ組織がすでに存在していたフィリピンなどの例外を除き、太平洋地域ではおおむね成功していたという。「現地住民にそれほど多大な犠牲者が出なかったことも大きかったと思います」(同時)という。1944年9月から11月にかけて、パラオ・ペリリュー島で繰り広げられた日米の激戦でも、日本軍が事前に現地住民を疎開させていた。

田中氏は「中国は戦史叢書から、旧日本軍の戦略や戦術をすべて学んだつもりだったのかもしれません。でも、戦史叢書は戦闘記録などが中心で、宣撫工作の詳細などはあまり書かれていません。中国も現地住民の反発をどうするかということまで計算に入れていなかったのでしょう」と話す。

ソロモン諸島では当面、親中国路線が続くことになる。中国が今回の総選挙の結果を受け、ソロモン諸島や他の太平洋島嶼国への対応を変えるかどうかは、まだ見通せない。

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