──ニューロダイバーシティという考え方は日本ではまだ認知度も高いとは言えないと思いますが、野田さんは昨年「Difference Is Strength! ニューロダイバーシティが拓く子どものみらい」というイベントで講演もされています。ダイバーシティさえままならない自民党の人なのに、かなり「とんがってるな」という印象があって……。
私はずーっと自民党のマイノリティでやってきましたから「とんがってる」って思われるのは当然かもしれないですね。ですが、自分にとっては普通のことを言い続けているだけなんです。
2004年に成立した「発達障害者支援法」を作るのに奔走したのも、こども専一の組織を作るべきだと提言し続けて「こども家庭庁」を実現したのも、私にとって当たり前の社会の姿をイメージしての政策だったんです。私は「こどもまんなか庁」がいいって言ってたんだけど。
3年前の総裁選でも「多様性」と「こどもまんなか社会」を掲げました。これも、従来の政治がまともに議論してこなかった「こども」について、いよいよ国を挙げて考えていかないとまずいよ、という当たり前の発想から訴えたことです。
──岸田内閣ではこども政策担当大臣もされたわけですが、野田さんの「こどもまんなか社会」の「こども」には障害者も健常者も区別なく含まれていると強調していますよね。
障害と健常の区別ってよくわからないんですよ。だって、健常とされているメガネをかけている人だって視力に障害があるわけでしょう。「普通って何?」っていつも思ってます。
なので、伊藤穰一さんと松本理寿輝さんが書かれた本のタイトルが素晴らしいと思って。『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』。「普通をずらす」っていうのがいいですよね。まさにノーマライゼーション、普通であることが良しとされた昭和の価値観の否定じゃないですか。私はこれからの時代、そうあるべきだと思う。
「よそ見できる人」をリスペクトできる社会
──「普通って何?」と思うようになったのは、何かきっかけがあるんでしょうか。私は女子校出身なのである意味で多様性のないところで育ちましたし、26歳で岐阜県議になったときも、国会議員として自民党に入ってからも、やはり多様性のなさみたいなことが壁になったりもしました。その反動があるのかなというのが一つ。
もう一つは、私のこどもですね。彼には3つの障害があります。知的障害、右まひという身体障害、そして呼吸器障害。でも日々接していると、障害って何なのかなって思いますよ。これはきれいごとでも親バカでもなくて、本当に。
たとえば、最近こどもがハマっているのが自撮り棒。スマホで写真を撮ることも好きみたいですけど、どうもいろんな種類の自撮り棒を集めることが面白くなってきたみたいです。初めはピンク、次はコールマンの自撮り棒がお気に入りだったんですけど、最近ねだられたのは別のブランドの青い自撮り棒。
それで驚いたのは、欲しいものを夢中で探しまくっているんですよね、ネットで。あの没入の仕方と言ったら……、私の息子の物欲の凄まじさを感じましたよね。というか、この子にはこんなに調べ尽くす能力があったのかってびっくりしたんです。
こういったこと一つとっても、それぞれの能力とか個性って、従来の「普通」とか「標準」では語れないと思うんです。これからは「普通をずらした」ところから、能力や個性を尊重していかないとって。「よそ見できる人」をリスペクトできる社会。
──伊藤穰一さんもこの本の中で、web3の時代はそれぞれの個性がそれぞれの個性を補完し合う分散型社会であるべきだ、という趣旨のことを書いています。
それぞれの得意分野をのびのび発揮してもらい、不得意なところは得意な人に手伝ってもらえばいい。わたしが考えている障害者といわゆる健常者が一緒にある社会というのは、伊藤さんの言う分散型社会の姿に近いと思います。
さらに言うと、何かできない人が支えられるだけの社会って変えていかなければならないと思っています。
──障害のある人が「障害者」として、「支えられるだけの存在」として見なされる社会は変わっていくべきということですか?
そうです。支える人口が減っているから支えきれなくなるという構造的な問題とは別に、障害こそイノベーションの源泉であるという発想が必要だと思います。だから積極的に社会で協業できるよう、雇用のあり方も変わっていくべき。
それから特に知的障害や自閉症の人たちを知的人口として迎え入れるべきです。これまでは学校でも「面倒な子」として切り分けられていたわけですが、むしろ「新人類」くらいに考えて、そのユニークなセンスや考え方とコラボしていける社会にしなければならないと思います。教育も、社会も、企業活動も。
知的人口というのは、いわゆるIQが高すぎもせず、低すぎもしない、まさに「普通のIQ」の人たちの数です。でもそこにIQが高すぎる発達障害の人や、私のこどものような低い基準とされる人も加えていいと思っています。
IQテストの現場を訪ねたこともありますが、まさに「普通って何?」の世界でした。IQという定規で数値化されたものの意味があまりわからなかった。うちの子なんてIQ=39と言われていますけど、高度なボケとツッコミを駆使して会話してきますよ。
「不良品を許さない国」でいいのか?
──ニューロダイバーシティが知的人口を増やすというのは、まさに「かなりとんがった」考え方だと思います。この前『サンクチュアリ』というマンガを読み返したら「不良品を許さない国、それが日本だ」という、昭和の日本を肯定的に捉えるセリフがあり、画一的教育の成果だと。「あ、まさにこれだ!」って思いました。IQが低くても高すぎても普通じゃないからと、モノもヒトも「不良品」とみなして切り捨てていたのが昭和の日本ですから。今から30年以上も前の作品から、昭和から令和へのあるべき姿が見えました。
──ところで、9月には総裁選が予定されているわけですが、ニューロダイバーシティについても掲げて臨むことになりそうでしょうか。
私はこれまで「強いものを壊していく」スタンスをとって、あらゆる場面で挑戦してきました。でも、自民党に対するこの逆風で、岸田さんも弱っている。正直、ファイティングポーズがとりにくい状況なんですよね。
──無派閥であることに追い風が吹いている気もしますが。
うーん、私から見ると「なんちゃって無派閥」が増えているだけの気がしていて、これまでの自民党とそれほど変わっていないような気がします。ただ「多様性」と「こどもまんなか社会」はこれからも政策として訴え続けていきます。
私は18年前からこども政策をと機会があるごとに言ってきたけれど、ようやく国会で「こども」について、与党と野党がケンカできるまでになった。与野党が国会でケンカできるまでになると、国の動きって早いんです。「子育て支援金」一つとっても空気の流れは早いでしょう?
ですから、ダイバーシティについても風が吹き始めれば、変化は早いと思います。総裁選のように自分の実現したいことを大きく掲げられる場面にあっては、もちろんニューロダイバーシティについても語ることでしょう。自民党のマイノリティである、私にしか語れないことだと思っていますから。