カイゼンと切り離せない概念が、「ゲンバ(現場)」だ。これは、「実際に仕事が行われている所」を意味する。製品を設計・製造する人々が共に集まり、アイデアを交換し、ベストプラクティスを生み出し、学んだことを共有する。そうした経験の総体を表す言葉が「暗黙知(tacit knowledge)」、つまり、「知識の背後にある知識」だ。
暗黙知という概念は、現代の経営学の議論においては、1990年代に比べてあまり優勢ではない。しかし、それも変わりつつある。エコノミスト誌のコラム群「バートルビー」に最近掲載された文章は、その理由についてこう述べている。
「すべての組織は、知識を蓄え、伝達するという問題に直面している。こうしたことは、新人が、何が何であるかを知り、成功や失敗から教訓を学び、わかり切ったことをやり直さなくてもすむために必要だ。労働力の高齢化により、ベテランが職場を去る前に、経験の浅い新入社員を教育する必要性が高まっている」
暗黙知
暗黙知の例として、熟練工が日々実践していることが挙げられる。電気技師の免許を持つ人は、講座で学んで資格を取得したわけだが、彼らが持つ実際の知識とは、職場の状況に合わせてそれをどのように使うかというものだ。そうした知識は、見習い期間や、職人としての経験からしか得られない。要するに、図面を読むことだけでは十分ではなく、それを機能させるには、経験によって磨かれた専門知識が必要なのだ。電気技師は暗黙知を持っている。
すべての訓練は、暗黙知を必要とする。そうした知識があって初めて、物事は成し遂げられる。
暗黙知の分野における第一人者の1人に、一橋大学名誉教授の野中郁次郎がいる。野中は、以下のように書いている。
「暗黙知は個人的なものであり、文脈に特有なものだ。したがって、形式化することや伝達することが難しい。一方、明文化、あるいは成文化された知識とは、形式的で体系的な言語によって伝達可能な知識を指す」
Denison Consulting(デニソン・コンサルティング)の創業パートナーで、スイスにある国際経営開発研究所(IMD)の名誉教授であるダン・デニソンは、「定義からして、暗黙知とは、自分にそれがあることに、自分では気づいていない知識だ。だから、表面化させるのは難しい」と話す。「『彼あるいは彼女は、私がこれから知ることよりも多くのことを忘れている』という表現を聞いたことがあるだろうか? これは、誰かが、自分では気づいていない暗黙の知識を持っていて、それが強力であることを認めているのだ」