世界的中華料理チェーンの成功の鍵はエンジニア的分析力と思考法だった

空港やドライブスルーなど、米国内に2400店舗を抱える中華チェーン「パンダエクスプレス」|Paul Bersebach / MediaNews Group / Orange County Register / Getty Images

米国で最初の中華料理チェーンを成功させたのは、電気工学の博士だった。彼らのビジネスの発展につながった、理系ならではのアイデアとは?


米国では中華料理といえば誰もが思い浮かべるほどの中華料理チェーン店「Panda Express(パンダエクスプレス)」。今では世界各国の空港ターミナルに出店し、出張や旅行で忙しい空港利用者が航空機の搭乗待ちの間に手軽に楽しめるのがウリのひとつだ。チェーンがそこまでに育ったのは、博士号をもつ理系起業家の経営哲学と、他に先駆けたデータ主義があってこそだった。

パンダエクスプレスの共同創業者で共同最高経営責任者(CEO)のビリオネア、ペギー・チャン(75)は、1960年代に香港から米国に移住し、70年代に電気工学の博士号を取得した。だが、ソフトウェア開発での有望なキャリアにはさっさと見切りをつけ、まったく異なるファストフード業界に転じ、自らの理系スキルを生かして米国人の好みにマッチする中華料理を目指してきた。

ほとんどのアメリカ人にとって、中華料理といえば近所の家族経営の店か、パンダエクスプレスのどちらかで買うものだ。パンダエクスプレスはアジア系料理のテイクアウト市場の43%を占め、2番手チェーン10倍の店舗数を誇る。

「レストラン業界の人の多くはエンジニアになる教育を受けていません。それが私の強みです」(ペギー)

パンダエクスプレスの経営は彼女に莫大な資産をもたらした。推定31億ドルの純資産を保有するペギーがランクインした米国の富豪ランキング「フォーブス400」では、一代で成功した女性は12人、一代で成功したアジア生まれの女性はわずか2人だ。夫で共同創業者兼共同CEOのアンドリュー・チャン(76)の個人の純資産も31億ドル。カリフォルニア州ローズミードに本社を置く同社は未公開企業で、株式の100%をチャン夫妻が保有している。

ふたりは富を独占するのではなく、積極的に分かち合っている。同社によると、2022年には常勤のゼネラル・マネジャーの半数近くが10万ドル以上を稼ぎ、27万7000ドルを得た者もいるという。

ペギーは1947年にビルマ(現在のミャンマー)で生まれ、子ども時代の大半を中国・福建省のショウ州と香港で過ごした。数学が得意だった彼女は米カンザス州スモールタウンにあるベイカー大学に進学した。アジア人学生は少なかったが、そこでアンドリューと出会った。ふたりはペギーが奨学金を得てオレゴン州立大学に移った後も交際を続け、やがてアンドリューはロサンゼルスで中華料理店を営むいとこを手伝うことになった。

一方、発明家を夢みていたペギーは、コンピュータ・サイエンスの修士号を取得。74年にはミズーリ大学で電気工学の博士号を取得した。だが学者や発明家になるのではなく、マクドネル・ダグラスでシステム設計を担当したほか、米空軍のためのバトル・シミュレーターの開発にもかかわった。その後は単発で仕事を請け負うギグワーカーとして、初期の顔・音声認識プロジェクトを手がけた。

73年にアンドリューが、友人や親せきから集めた6万ドルとSBA(中小企業庁)ローンを元手に、父親とパサデナ市に小さなレストラン「パンダイン」を 開くと、ペギーも夜や週末に接客にあたった。

転機は82年の大みそかにやってきた。元日にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)がローズボウルでミシガン大学と対戦することになっていた。大一番を前にUCLAブルーインズの伝説のフットボール・コーチであるテリー・ドナヒューの家族が、夕食をとろうとパンダインに立ち寄ったのだ。
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文=チェイス・ピーターソン-ウィソーン 写真=イーサン・パインズ 翻訳=フォーブス ジャパン編集部 編集=森 裕子

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年4月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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