1991年、インターネットが一般に開放され、情報を伝達する新たな手段が生まれました。そして今、私たちはAIに対峙しています。「生まれたばかりのこの新たなテクノロジーの可能性を、まだ私たちは十分に理解していません」と同氏は語ります。
「しかし、グーテンベルクの時代から得られる教訓の一つは、テクノロジーはいつか衰退し、当たり前のものになるということ。そして、テクノロジーの存在が当たり前になると、それが真に重要なものになります。なぜなら、そのとき初めてそのテクノロジーが受け入れられ、もはやテクノロジーとして見られなくなるからです。だからこそ、テクノロジーやインターネットを、人間のネットワークとして見ることが重要です」
信頼と新たなテクノロジー
AIに関して言えば、社会がそれを当たり前なものと感じるのはまだ先のことでしょう。しかし「新たなテクノロジーに対する反応は、過去500年間あまり変わっていないように見える」と同氏は言います。印刷機は、良い意味で今日の生成AIと同じくらい多くの疑念と懸念を抱かれていました。「印刷が登場したとき、出所が明確でなかったため、まったく信用されなかったというのは重要なことです。誰でもXポストやフェイスブックの投稿、ブログを作ることができているのと同じように、誰でもパンフレットを印刷できたからです。より信頼されていたのは、人々の間にある社会的関係でした」
この問題は、メディアの信頼に関する現在進行中の議論に似ているとジャービス氏は捉えています。しかし、インターネットの出現は、大きな声を持たない人々に声を挙げるチャンスを与えました。
「アメリカの最も有名なニュースキャスター、ウォルター・クロンカイトは、放送の最後をいつも『そして、現実はこういうものです』という言葉で締めくくりました。しかし、多くのアメリカ人にとって、それは『こういうもの』で済むものではありませんでした。彼らはそこにいない者として扱われていました。彼らは行政サービスを受けることもできませんでしたが、今、声を挙げることができます」
「以前は聞かれることのなかったコミュニティの声を聞くことができるようになりました。BLM(ブラック・ライブス・マター)は、新たなテクノロジーのおかげで起きた改革の典型例と言えるでしょう」
AIの時代
サンフランシスコで開催されたAIガバナンス・サミットでは、意図しない結果に対処するため、AIをどのように制御・規制するかが議論の中心となりました。EUや他の地域がAIを規制するベストな方法を模索する中、ジャービス氏は、規制が真の答えとなり得るのかを疑問視します。「私たちはこれをコントロールできるのでしょうか。なぜ規制したいのですか。何のために」同氏の結論は、AIをコントロールする方法に焦点を合わせるのではなく、インターネットとAIの両方を人間というプリズムを通して判断するために、力を合わせる必要があるのだということです。
「AIは、対話を通じてのみよりより理解できるようになる機械であり、人間的な性質を持っています。今必要なのは、この議論に倫理学、人類学、社会学、心理学、歴史学、人文科学を持ち込むことです」
「私たちがこれらのテクノロジーに影響をもたらす、人間の弱さや失敗を認めなければなりません。そういったものに対してこそ、ガードが必要なのではないでしょうか。テクノロジーが危険なのではありません。テクノロジーを手にした私たちが危険なものとなり得るのです」
(この記事は、世界経済フォーラムのAgendaから転載したものです)
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