「何がなんでも絶対にどうにかする、ですかね」
インキュベイトファンド代表パートナーである赤浦徹は「投資哲学というよりは投資ポリシーなんですが」と前置きしながら開口一番そう話し始めた。ランキング1位の投資家から出てきたのは、意外にも起業家的な言葉だった。赤浦は1999年に独立開業し、2010年にインキュベイトファンドを設立。一貫して創業前後のシードステージに特化してVC事業を営んできた。同社は創業以来1250億円以上の資金を運用し、関連ファンドを通じて700社以上のスタートアップに投資。掲げている「ビルド・インダストリーズ(新産業創出)」「ゼロ・トゥ・インパクト」「ファースト・ラウンド、リード・ポジション」は赤浦の投資姿勢を体現している言葉でもある。
「『目利きがすごい』と言われますが、目利きなんかしていません。『伸びそうな企業に期待してお金を張っている』わけではなく、『自分が何をつくりたいか』で投資している。ベッティングではなく、ビルディング。だから、『絶対にどうにかする』なんです」
赤浦のこの言葉は、23年4月12日に上場した宇宙スタートアップのispace(アイスペース)との話にもつながる。今や新産業領域の代名詞ともいえる宇宙業界内のスタートアップによる日本初の上場の裏側には赤浦がいた。赤浦がispaceへ投資をしたのは14年5月。同社代表取締役CEOの袴田武史とはじめて会ったその日に3億円の出資を決めた。宇宙産業がまだ草創期だったころだ。
「(1990年代後半の)ネットバブル期のような産業が立ち上がるにおいを宇宙に感じた。ネットバブル当時と同様の『やった者勝ち』『狂った者勝ち』で『やってやろう』という雰囲気。袴田さんと会ったその日に投資を決めたのも、(宇宙領域で新産業創出が)やりたくて話をしに行ったわけですから、むしろ一緒にやりましょう、と」
そこから、同社の、特に資金調達には常に赤浦の存在があった。「口を開けばispaceの話しかしない」という噂話も流れるほどだった。17年12月~18年2月のシリーズAでは「奇跡の」103.5億円の資金調達(シリーズA国内過去最高額)。20年8月~12月のシリーズBでの35億円の資金調達。21年8月~10月のシリーズCでの55.6億円の調達の立役者でもある。「全株主が集まり、雰囲気が最悪だった場で『大丈夫です。僕が集めてきますから』と啖呵を切ったこともありました(笑)。シリーズCでも、『やり切る』ために170億円規模のグロース・ファンドを組成して25億円の出資も行いましたから」。
そして、23年4月のIPO(新規株式公開)も同様だった。証券会社の担当者が「過去最も難しかった」と言った上場に関しても、赤浦の最後の後押しが功を奏したともいえる。インキュベイトファンドは新株を証券会社から引き受ける「親引け」を選択し、25億円の追加投資で議決権ベース12%に相当する984万株を買い増した。とはいえ、公募価格は254円と、シリーズCの1株1203.55円と比較して79%低下の大幅なダウンラウンドだった。
「(機関投資家の感触を確かめる)インフォメーションミーティングも異例とも言える回数をやったが、証券会社からは『需要が確認できない』と。だったら、『需要はある』とまた啖呵を切った。絶対に上場すべきだとの思いのほうが強かった。ispaceは本当に価値がある素晴らしい会社。だからこそ、社会から応援されるべきで、これから結果も必ず出していく、という確固たる思いがありますから」
その言葉通りか、同社の上場初値は公募価格から3.9倍の1000円。上場5日目には2100円まで高騰。時価総額も1700億円以上と、上場後ユニコーン企業の仲間入りをした。