今回の事態はたしかに1973年の第1次石油危機(オイルショック)時と重なる面があるので、石油価格が急騰するのではないかと連想する人も少なくないだろう。だが、読者の父親(や母親)が経験したような石油危機の時とは事情が違っている。ユダヤ教の神聖な日「ヨム・キプール(贖罪の日)」に合わせた奇襲攻撃だった点を除けば、実際のところ当時と現在で似た点はほとんど見当たらない。
第1次石油危機(アラブ諸国による石油禁輸としては2回目)ではそれに先立って、石油輸出国機構(OPEC)諸国の大半の石油を生産する石油会社側と政府側が数年にわたり、税や統制、所有権をめぐり争っていた。また、1973年に一部の産油国が石油の禁輸や減産を発表した時点で、数年におよぶ需要急増のために市場はすでに非常に逼迫していた。そこに石油供給の喪失と、戦争が続く期間の見通しの不透明さが重なった結果、石油のパニック買いが起こり、価格は3倍に跳ね上がった。
もちろん、現在の紛争も石油価格に影響を与えるだろう。中東のどこで暴力が起きても、たとえその場所が油田や産油国からかなり離れていても、石油市場の緊張は高まる傾向にある。イスラエルやガザでの荒々しい暴力の映像を目にした投資家たちは、事態が波及する可能性、たとえば直接的にはイスラエルによるイランへの攻撃、間接的には一部の産油国によるハマスへの同情的な減産などを懸念して、石油市場で買いを入れるに違いない。とはいえ、石油価格の上昇や大きな変動が長引く可能性は低いだろう。そこでは産油国やその他の政府とくに米政府の対応が鍵を握るはずだ。
1973〜74年に石油価格の急騰を引き起こした要因は、今回はほとんど存在しない。それどころか、当時と比べてプラスの変化もいくつかあり、それによって大幅な値上がりは抑えられると考えられる。1つ目の違いは、パレスチナ人を政治的に支持する人や国は多いものの、ハマスを支持する者は少なく、今回の攻撃によって増えそうにもないことだ。イランは石油輸出国でハマス側についている唯一の国だが、連帯の証として石油輸出を減らすには経済的に不利な立場にある。なかでも不都合なのは、自国が石油の輸出を減らした場合、他国がそれを埋めるのがほぼ確実視されることだ。
もっとも、イランにはそもそも選択肢が存在しないかもしれない。米国のジョー・バイデン政権はイランによる石油輸出の拡大に目をつぶっているようだと最近指摘されており、今年前半の輸出量は日量60万バレル増えている。だがこうした状況はおそらく続かず、イランは石油の一定量の輸出は続けられても、その量は少なくとも日量30〜40万バレル減ると見込まれる。
これは石油相場にとって強気材料になるが、減産幅の点でも価格への影響という点でも1973年とは比較にならない。影響を左右するのはサウジの対応だろう。サウジとイランの緊張はこのところ緩和しているとはいえ、サウジが今回の事態でハマスやイランを援護しそうにはない。サウジはむしろ、イランの石油輸出減少分を補うことで石油相場を安定化させ、バイデン政権を政治的に側面支援する可能性が十分ある。そうなれば、サウジが石油生産量をわずか4カ月で日量150万バレル近くも増やした2003年の再演というかたちになる。