アート×テクノロジー、メディアアートの領域はまだまだ掘り下げられる領域が多い。より多くのアーティストやキュレーターに参画してもらい歴史に残るアートを生み出すためには、どのような作品・展示、を心がければいいのか?当記事冒頭で投げかけた仮説に対して、どのようにクリティカル・シンキングを取り入れることでアート作品の意味を深めていくことができるのか?
ベノア:「大きな影響を長く残す作品を作るために、アートとテクノロジーの分野で活動するアーティストは、作品に明確な目的とメッセージを込め、イノベーションを歓迎し、さまざまな領域の専門家との協力を促進する必要があります。さらに、持続可能性(つまり、作品の環境的および倫理的側面を考慮すること)も考慮に入れ、観客との個人的かつ意味のあるつながりを築くことを意識してほしいです。
そして、キュレーターには、アートワークの研究と分析を丁寧に行うこと、そしてキュレーションの決定においては倫理的視点も怠らずにお願いしたい。多様な視点を受け入れ、アートワークをより広い豊な物語の文脈に位置づけ、変わりゆくトレンドに適応しながらも核となる価値を維持する姿勢が求められます。
日本では、クリティカル・シンキングはしばしば合意形成とイノベーションに重点が置かれていますが、フランスでは知的厳格性(intellectual rigor、徹底的に考え尽くす姿勢)と哲学的討論 (philosophical debate)が重視されます。日本のアートシーンでクリティカル・シンキングを取り入れるためには、バランスのとれたアプローチが必要です。イノベーションを促進することは重要ですが、哲学や歴史に深く踏み込むことで、考えさせるアート×テクノロジー作品にしっかりとした土台を提供できます。
フランスと日本のクリティカル・シンキング・アプローチのギャップを埋め、意味のあるアート×テクノロジーのシーンを育むために、日本のアーティストは作品に哲学的な要素を加えると、作品がさらに深まり、受ける評価も高まるでしょう。この域に到達するには、哲学的な概念を探求する、知的な討論に参加する、歴史からインスピレーションを得るなどのアプローチ方法があります。両方のアプローチの長所を組み合わせることで、日本のアーティストはより多様で影響力のあるアート×テクノロジーのシーンに参画してくことができるでしょう。これはあくまでも私の意見ですけどね。」
ベノアと私は、クリティカル・シンキングを使ったキュレーションに共通の関心を持っている。そして、深く当テーマについて考えれば考えるほど、行動に移したくなるという面白い衝動にも駆られている。つまり、ここでのメッセージは自分たち自身への挑戦ともなっているのだ。自分の見たい世界は、自分で作るしかない。そして、作った世界が自己満足で終わらないように、クリティカル・シンキングを重ねながらアウトプットを試みていきたい。