まず驚かされるのは、ライフネット生命を創業したのが、出口さんが60歳のときだということです。実は、京都大学を卒業後の1973年に日本生命に入社、58歳で退職しています。
そもそも、就職で金融機関を選んだのは、まったくの偶然だったと言います。
「僕は大学では法学部で学び、日本の正義のために頑張りたいと弁護士を目指していたんです。ただ、万が一のことだってあるから、どこか会社も受けておいたらと友人に誘われまして。京都から京阪電車に乗って、終点の淀屋橋駅(大阪市)の上にある日本生命に行くと、『司法試験に落ちたらうちに来なさい』と言ってもらえたんです」
若い人を応援するのが、生保の本流
出口さんは結果的に司法試験に落ち、日本生命に行くことになります。そして入社してからは、猛烈に勉強したといいます。
「なぜなら、保険会社の仕事が面白かったから。保険というのは、ひと言で言えば、いろんなリスクをできるだけ廉価なコストでヘッジして、人生を楽しくするツールなんです」
それこそお金持ちには、保険の必要性は高くはありません。持っている資産でカバーすればいいからです。
「保険が必要なのは、普通の人です。しかも、若い人。とりわけリスクが高いのは、子どもを育てている若い親なんですね。若い人を応援するのが、生保の本流なんです」
こうした保険の社会的意義を先輩から教わり、偶然にしてはラッキーな業界、そして会社を選んだなと思ったそうです。
「そもそも世の中は金融抜きには考えられません。金融というのは、社会の血液です。人間の社会を安定させているのが、金融。そして、巡り巡って人々の人生を豊かにしているのも金融。とても大事なインフラです」
出口さんは「すべての産業は等しく尊いと思っている」とも語っていました。農業も工業も優劣はない。しかし、血液として社会の循環をよくする存在として、金融はどんな産業においても極めて重要な役割を果たしている。「その立場だけは絶対に忘れてはいけないと考えていた」と言います。
日本生命を退職後、ライフネット生命を立ち上げたのは、まさにその思いからだったのです。金融が、保険が、社会でとても重要なものだからです。
「とりわけ僕は、できるだけ廉価なコストでリスクをヘッジして、若い人をもっと応援できる保険会社をつくりたかった。僕がずっと先輩たちから教えられてきた、保険の原点に立ち戻った会社をつくりたかったのです」
保険会社の役割には、保険を引き受けること、そして預かったお金を運用するという2つがあります。出口さんは日本生命で、長く運用の仕事をしていました。
「保険会社は、金融マーケットで大きな存在感を持っています。日本の株式市場でも、保険会社が多くの株式を持っていた時代がありました。国内でも有数の機関投資家だったのです。不動産投資をしてビルを所有したり、融資も求められたりする。しかも、世界規模なんです」