社会的圧力の罠を避ける
人が他人を「自分勝手」と呼ぶのは、もちろん褒め言葉としての意味ではない。そう呼ばれるのを避けるために、人は自分がやりたくないことに同意することがある。たとえば「ああ、君はチームプレイヤーじゃないんだね」や「君は楽しむことを一切望まないんだね」などと言われると、たとえそれが中学校内の派閥のように明白なものであったとしても、こうした社会的な圧力に一時的にせよ傷つけられる。圧力に対して反応する代わりに「自分自身への約束に背くことになるので、申し訳ありませんが、ご依頼は受けかねます、お許しください」と言ってみると良い。相手はあなたの意見に納得しないかもしれない。しかし、そうした選択をすることで、自分が無防備でないと感じるはずだ。あなたの行動は適切な境界を設けるモデルとなり、自己主張はするものの敵対的にはならないという姿勢を示すものだ。
付加価値をつけながら「いいえ」という方法を見つける
もし誰かがあなたに何かをするように頼んできたら、あなたは質問から始めることができる。これはあなたが決断するための足がかりになり、拒否した場合でも役に立つことができる。このように尋ねてみよう「これが私に合っているかどうかわからないので、詳しく教えていただければ、すぐにお答えできます」これは、あいまいな「考えておきます」という返答で2人の間に漠然とした不確定性を生むのを避けるためのものだ。もしあなたが興味を持っているが、詳細が一致しない場合には、その時点で別の提案をする好機となる。たとえば、ポッドキャストのインタビューを求められたが、タイミングが合わないときには、他の選択肢を提示することができる。
もし要請があなたが断らざるを得ない事柄だったら、こんな風に伝えることができる。「現在、私は大規模なプロジェクトに集中していて、それに全精力を注がなければならないため、申し訳ありませんがお断りさせていただきます」。さらに、他の人を探すための視点や助言を提供することもできるし、また紹介をすることも考えられる。
人々が自己犠牲こそが善良さの証で、自分勝手でないことの証拠だと信じ込むと「親切さの罠」に捕らえられてしまう。このようなジレンマに陥ると、誰もが最善を尽くすことは難しく、組織は健全な境界を設けたり、助けを求めたり「いいえ」と伝えたりする手本を失ってしまう。転職してしまうという選択肢は常に存在する。しかし、全体像を見て社会的圧力に立ち向かい「いいえ」や「まだダメです」や「いいえ、でもそれなら」を伝える術を学ぶことで、自分を主張するスキルを磨き、自己犠牲の罠から逃れることは、有意義なことなのだ。
(forbes.com 原文)