一方、「半年や1年は暴れてご覧にいれる」と語った山本五十六も、米側が「皮肉だ」と指摘した通り、最後は開戦に抗えなかった。日本には当時、「緒戦で米軍を叩けば、米国が戦意を喪失して早期講和に応じてくる」「ナチスドイツがソ連に勝利すれば、米国は戦えない」といった楽観論があったとされる。総力戦になることはわかっていたのに、日本は米本土空爆など、相手を屈服させることができる作戦を何も持たないまま、戦争に突入した。
米国の関係者は、当時の日本のこうした楽観論について「確かに欧州戦線に力を注がなければいけない状況もあったし、国内に戦争反対の世論もあった。でも、有事になれば、米国民が団結し、産業をフル稼働させるという見通しを持てなかった。米国を見誤ったと言うしかない」と指摘する。
いくら素晴らしい戦術を見いだしても、戦略を誤れば元も子もない。日本も昨年、国家安全保障戦略など戦略三文書を決定し、反撃能力の保有にも踏み切った。日米一体化も進めている。紛争を起こさせないためには、日米一体化は意味がある。相手が「紛争を起こせば、手痛い目に遭う」と予測することで、紛争を起こす意欲を抑止できるからだ。ただ、同時に相手は「日本と米国は一体だ。米国と交戦したら日本とも当然、戦闘状態に入る」と覚悟することになる。台湾有事の際、日本が「中国と戦争をする気はありません。米国に武器弾薬を支援するだけです」と言っても、中国はそうは見てくれないだろう。
山本五十六が存命していたら、今の日本の状況についてどう語るだろうか。
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