2015年に科学誌『Nature』に発表した論文で一躍その名を世界に知らしめた。数々の研究成果は国内外で高く評価され、昨年11月の全米医学アカデミー「カタリスト・アワード」、今年の「日本学術振興会賞」など多数受賞する。
星野の目に映る細胞とは、「ひとつも同じ形のものはなく、非常に多種多様な形をしている」。その細胞の世界から見えるのは、生き物の多様性だ。そこに惹かれる。
「人間の社会も本来は細胞の世界と同じなんです」と星野は言う。
星野の研究者としての出発点は、米ニューヨーク州にあるコーネル大学医学部小児科のライデン研究室だ。大学院生のとき、東京の学会に出席していたライデン教授にアピールし、4年後にそのポストをつかんだ。転機は、前述の論文発表で訪れる。研究テーマは「がんはなぜ特定の臓器に転移するのか?」ー例えば、乳がんは脳や肺、肝臓や骨に転移しやすいことがわかっている。だが、そのメカニズムは約130年前から謎とされてきた。星野は、がんの転移先の特定に「エクソソーム」が関与しているということを証明した。
研究には、多様なバックグラウンドをもつ研究者が参加した。日本人の星野を含め国籍も年齢もさまざま、医師もいれば企業の研究者も、子育て中の女性研究者もいる。多様な視点や意見を交わさなければ、この発見にはたどり着けなかった。星野が多様性の重要性を訴えるのも、一つにはそうした経験があるからだ。この研究を「原発がんや転移がんだけでなく、アルツハイマー病や自閉症など、まだ解明されていない疾病の早期発見や治療法につなげていきたい」と星野はその先を見据えている。
星野は父親の仕事の関係で生後半年から2歳まではリビアで、小学1年から中学2年までニューヨークとアトランタで暮らした。当時は、多様な人が暮らすなか、日本人である自分の居場所を探すまで「マイノリティ感を感じていた」。その経験があるから、男女差より多様性に意識が向かう、と星野。「よく女性研究者として大変ですかと聞かれるんですけれども、研究において男女差は意識したことはないんです」。
子連れで学会参加のハードル
そうはいうものの、帰国後に女性研究者の現実に直面する。2019年3月、約8年半研究者として過ごした米国を離れ、日本へ帰国。同年4月、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構 (IRCN)にて講師に着任後、翌年3月東京工業大学生命理工学院にて准教授に就任した。帰国早々、星野を待ち受けたのが、学会と当時1歳になる娘の子育てとの両立だった。学会は地方で2、3日の日程で行われることが多い。ベビーシッターを手配できないときは、出席を断念するか子どもを連れていくしかない。星野もコロナ前までの1年間そのつらさを経験した。
「子連れで大きな荷物を抱えてバスに1時間揺られていくのは、本当に大変でした」。初参加の会議では、参加者40〜50人のうち女性は2桁もいなかった。子連れ参加は星野だけだった。