一方向でなく、循環する社会へ
イベントが終わり、ホテルに戻ってレストランに行くと、店に来てくれていたマダムがsuzusanを着て手を振ってくれました。一緒にお酒を飲みながら話をしていると、日本の入国規制が解けてから娘さんと旅した数週間の思い出話を、スマートフォンの写真を見せながらたくさん聞かせてくれました。その方に改めて僕らのものづくりの背景や名古屋の手仕事の文化の魅力などを伝えると「次に日本に行く時には必ずあなた達のところに訪れるわ!」と約束してくれました。
この方が人生で何度僕らの町に来てくれるか、正直数える程だと思います。ただこのチロル山脈の小さな町での邂逅は、地域を超えて次の場所につながり、作り手と使い手の循環を生み出しました。この方はきっと袖を通す度に、僕らの顔を思い出してくれるのではないかと思います。
ファッションの歴史は、1970年に高田賢三氏が日本人として初めてパリコレでショーを行ってから半世紀以上、パリを頂点とし、そこでどれだけ華やかなショーをできるか、時にエキセントリックな表現で話題をさらえるかがデザイナーのステイタスとされてきました。
ただ最近は、その頂点を目指す一直線のレールではなく、生産地と世界各地のローカルのマーケットがつながり合い、人間的な共感を持って循環をする未来になっていくと感じています。そうすることで、ものづくりが豊かな日本が、世界からのリスペクトを持って日の目を見るようになると思います。
コロナの影響が緩和され、世界が動き出す中で、欧州や北米から、パンデミック中に“憧れた”国、日本へ人が流れ込んできています。彼らが日本に求めるものは、世界中の都市に同じように並ぶ欧州ラグジュアリーブランドではなく、小さな地域のそこにしかない共感できるものづくりだろうなと、山奥の雪降る町で考えていました。