アカデミー賞受賞作「わが谷は緑なりき」丨「強い父」を中心とした幸福な大家族が、崩れるとき


求心性が弱まる父


炭坑夫たちのストライキは長引き、ストに反対していた父には仲間からの風当たりが強くなる。集会で夫を擁護し人々を非難した妻は、その帰りに凍った川に落ち、助けようとしたヒューも落ちて、2人とも病の床に着く。父にとっては、自分の主張を通したために、結果としてこのような罰を家族に受けたことになるだろう。

春が来て回復した母の元に、帰ってきた息子たちや村人が訪れて祝福の歌を合唱する心温まる場面では、父は一歩下がって愛妻家ぶりを発揮。次男イアンとグリュフィド牧師の会話に攻撃的に割って入った助祭をなだめ、その場を収める役に徹している。

父の求心性は既に弱まっている一方で、妻や周囲の人を立てようとする優しさと度量の深さが垣間見えてくる。

そして、スト解除後に仕事が減らされたと、息子たちは父をつき上げる。仕事において尊敬すべき大先輩であった父の苦境は、家庭内での彼の権威低下の始まりだ。アメリカに行かせてくれと懇願する四男と五男の訴えについに父が折れたのは、当然の成り行きだろう。

長兄が合唱でウィンザー城から招待を受けることになったという名誉と引き換えのように、四男と五男は谷をあとにする。こうした中で、病の長引いた末っ子ヒューの心の支えとなるのは、本を届け知的な成長を促してくれるグリュフィド牧師であった。

「家長」としての父の崩壊


しかし、歌で評価される長兄といい、新大陸を目指す四男、五男といい、本好きになるヒューといい、愚直なまでに伝統に従って生きてきた炭坑一筋の父から見れば、まったく想定外の展開と言えよう。盤石だと思っていた家族のかたちの微妙な変化は、やがて彼自身の”崩れ”となる。

それが表面化するのは、アンハードの結婚話が持ち上がった時だ。縁談話をもって突然家にやってきた炭鉱主エヴァンスに、あたふたと対応する父。その時足湯を使っていたが、捲り上げたズボンを下ろす余裕もなかった。

どっしりと構える大金持ちの資本家の前で、娘を玉の輿に乗せるため珍妙な姿のままペコペコする父の姿は、家長然として振る舞ってきた彼の限界を痛ましくも滑稽に示している。
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文=大野佐紀子

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