アカデミー賞受賞作「わが谷は緑なりき」丨「強い父」を中心とした幸福な大家族が、崩れるとき


家族のかたちは次第に変化


「わが谷は緑なりき」というタイトルは、まだこの谷が廃炭で汚れていない美しい景色を保っていた時代を表しているが、実は人心も重ね合わされている。つまり、村という小さな共同体において、人々の心の荒みと閉塞感がだんだんと明らかになっていく中で、美しい魂を保持しようとし続けた者が最終的に敗北する物語なのだ。

従って最初の方で描かれているのは、モーガン家のもっとも平和で幸福な時代である。以降、彼らを見舞う数々の試練によって、家族のかたちは次第に変化していく。

ここでは、昔ながらの暮らしを守っていこうとする父の権威と絶対的な安定感が崩れていくさまと、その中に浮き彫りになる彼の人間的な深い味わいに注目していこう。

最初に起こるのは、近くの鉄工所が閉鎖になったことで、安い労働力が炭鉱に流れ込み、賃金が切り下げられるという出来事だ。組合を作るべきだと主張する息子たちと、頑として聞き入れない父は対立する。

基本的には同じ職場で働く上司と部下の意見のぶつかり合いだが、同時に、これまで一度もなかった父子間の決定的な亀裂でもある。「荷物をまとめろ」という父の一言で黙って家を出ていく次男から五男までの4人。亀裂を内包したまま一緒に暮らすことはできないと考える点で、父と息子らは同じ純粋さを持っている。

がらんとした食卓に残され、肩を落として黙り込む父。耐え難いような静けさの中、かける言葉も見つからないまま自分の存在を気づかせようとヒューがわざと立てた食器の音に、「おまえがいるのはわかっている」と父はやっと穏やかな視線をよこす。

「やめなさい」でも「静かにしろ」でもなく、兄たちに去られた父を励ましたい末っ子の気持ちを汲み取りつつ、静かに答える「おまえがいるのはわかっている」の絶妙なおかしみ。

重いムードの中にふと訪れるこの微笑ましい名場面は、無邪気な末っ子がやがて父の最後の望みとなることの、重要な伏線ともなっている。

つまりこの台詞には、「おまえが今そこにいるのは音を立てなくてもわかっている」という文字通りの意味だけでなく、「息子たちの中でおまえだけが希望として残っている」という、本人も気づいていない予言が含まれているのだ。
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文=大野佐紀子

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